「ナギダイアリー」深田晃司監督

 テレビドラマはそんなに見ている方ではないんだけど、NHKの連続テレビ小説、いわゆる朝ドラは小さいときから親しんでいた。とは言っても学校や会社に行っていたころは通学や出勤の時間と重なったりして、よく言われる時計代わりにチラ見していた程度でしかない。じっくり腰を落ち着かせて鑑賞するようになったのはここ10年くらいだが、中にはドはまりしてしまって、朝からティッシュが欠かせないような作品に出くわすこともある。

 最近だと「舞い上がれ!」と「おむすび」が特にお気に入りで、毎回、涙腺が刺激されて仕方がなかった。どちらもNHK大阪放送局の制作だったが、どうも自分には東京制作よりも相性がいい気がする。ということで、この9月28日(月)にスタートする大阪制作の「ブラッサム」も大いに期待しているんだけど、期待値をさらに上げている要素に、主人公のヒロインを演じるのが石橋静河ということもある。「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017年、石井裕也監督)、「きみの鳥はうたえる」(2018年、三宅唱監督)をはじめとして映画でも圧倒的な存在感を発揮しているし、さらに共演で「夢売るふたり」(2012年、西川美和監督)や「小さいおうち」(2014年、山田洋次監督)などの実力派、松たか子が朝ドラ初出演を果たすという。これはもう映画ファンとしては絶対に見逃してはならないよね。

 今年2026年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出された深田晃司監督の「ナギダイアリー」は、この2人にやっぱり数々の映画で記憶に残る名演技を披露している松山ケンイチも加わって、驚異的なアンサンブルを奏でている。ストーリーもめちゃめちゃ奥深くて後を引くんだけど、人物一人一人の行動と思考に説得力と謎の部分が絶妙に同居していて、役者というものの偉大さに改めて感じ入った次第だ。

 映画は岡山県奈義町をモデルにした山あいの田舎町、ナギが舞台になっている。この町で酪農を生業にしながら創作活動にいそしむ彫刻家の寄子(松たか子)のアトリエに、東京と台湾で建築家として活躍する友梨(石橋静河)が訪ねてくる。2人は友梨の別れた夫が寄子の弟という元義理の姉妹の関係で、寄子は友梨をモデルに新作の制作にとりかかる。そんな2人の空間に、寄子の幼なじみで若くして妻を亡くした好浩(松山ケンイチ)と、その中学生の息子の春樹(川口和空)、春樹の親友の圭太(藤原聖)が顔を見せて……。

 と、作品はこの5人のほか、好浩の亡くなった妻の早苗(藤間爽子)がちらっと現れるなど、ほんの少人数で構成されていて、しかも焦点はほとんどがそれぞれの人間関係に絞られている。はっきり言って、目の覚めるような映像の仕掛けや耳をつんざくような音の洪水が襲ってくるわけではない。それでいてものすごくふくよかな物語が展開されるのだから、これぞ映画の魔力なんだろうなと思い知らされた。

 例えば寄子も友梨もそれなりに社会的に認められた存在で、お互いに尊敬しながら仲良く振る舞ってはいるものの、何か一本、芯が通っているわけではなく、その都度その都度、大いに揺れまくる。2人とも春樹ら中学生2人に共感しているように見えて、でも一方では大人の常識なるものを口にする。そんな大人に対して、中学生たちは「ずるい」と言うのだが、ことほどさように人間とは不安定な生き物であり、その象徴として戦争の影が示唆されていることもまた興味深い。

 と同時に、この映画にはたくさんの「好き」が登場する。誰が誰のことを好きなのか、というのは極めて身近で俗っぽい素材だし、深田監督はこれまでの作品でも恋愛の要素をさまざまな形で追究してきた。今回も、恋にならない恋、やむにやまれぬ恋、かつてあった恋と、いろんな恋模様が、中学生にとってはこれからの人生の生き方、大人にとっても自分の信念と社会規範とのせめぎ合いという、どちらもなかなか答えの出ない難問と同レベルでちりばめられている。恐らくこの世の中は、そんな人間の多様な感情の混じり合いで成り立っていて、だから豊かで価値がある。ということを、深田監督は温かくも鋭い視線で示しているような気がする。

 こんなにも複雑で、でも至って地味な物語をぐいぐい引き付けて見入らせてしまうのは、やはりそれぞれの人物がスクリーンの中で、複雑なまましっかりと地に足をつけて生きているからにほかならない。寄子、友梨、好浩は絶対に松、石橋、松山の3人でなければならなかったし、中学生役の2人も本当に無理がない。小津安二郎や黒澤明など、同じ役者を何作も起用する監督は多いが、深田監督はこれまでも二階堂ふみ、浅野忠信、ディーン・フジオカ、筒井真理子、森崎ウィン、木村文乃、齊藤京子と、作品ごとに主役を選び抜いて、最高の表現力を引き出している。今回も、よくぞこの主役3人に依頼したものだとうならされる。

 深田監督には何度かインタビュー取材をしているが、「淵に立つ」(2016年)で初めて会ったときに話していた「100人が見たら100通りの意見が分かれる映画を作りたい」との言葉は今も耳に残って離れない。「ナギダイアリー」もまさに多様な受け取り方ができる作品であることは間違いないし、何なら見るたびにまた違った印象になるかもしれない。寄子が飼育している牛たちのように、まだまだ反芻する必要がありそうだ。(藤井克郎)

 2026年9月25日(金)から新宿ピカデリー、ユーロスペースなど全国で公開。

© 2026 ナギダイアリー・パートナーズ (スターサンズ/八朔ラボ/ワンダーストラック) / Survivance / Momo Film Co.

深田晃司監督「ナギダイアリー」から。寄子(松たか子)は彫刻の創作に精を出すが…… © 2026 ナギダイアリー・パートナーズ (スターサンズ/八朔ラボ/ワンダーストラック) / Survivance / Momo Film Co.

深田晃司監督「ナギダイアリー」から。寄子(右、松たか子)と友梨(石橋静河)は中学生たちの相談に乗るも…… © 2026 ナギダイアリー・パートナーズ (スターサンズ/八朔ラボ/ワンダーストラック) / Survivance / Momo Film Co.