「ミセス・ノイズィ」天野千尋監督

 映画の記事で悩ましいのは、いったいどこまで映画の内容に言及していいかということだ。あまりネタバレになるようなあらすじは書くべきではないし、とは言うもののストーリーに全く触れないわけにもいかない。

 前に深夜テレビで、翌日に行くことにしていた映画を取り上げているトーク番組を見ていたら、なんと最後のオチを「実はあの人は……」なんて話していて、思わずのけぞったことがある。えっ、それって事前に言っちゃだめなんじゃないの、と思いながら翌日、映画館に足を運んだら、ロビーに張り出してある掲示物にまで、秘密であるはずの例のオチが暴露されている。果たしてそのオチは、映画のラスト近くで驚くべき事実として描かれていて、もし前もって知らなければものすごい感銘を受けたんじゃないかなと思われた。ああん、僕の感動を返してよ、と恨んだが、最近は結末までわかっていないと映画を見ないという野暮天も多いと聞く。なんだかなあ、と釈然としないまま劇場を後にした。ちなみにその映画は「やさしい嘘と贈り物」(2008年、ニコラス・ファクラー監督)という作品で、未見の方はぜひ事前情報なしでご覧になることをお勧めする。

 そこで「ミセス・ノイズィ」だ。この作品は、もう映画の構造そのものが驚きに満ちていて、何を書いてもネタバレになりそうな気がする。だからと言って、とにかく面白いから見てちょうだい、だけじゃレビューにはならないし、本当に悩ましい。

 ちらっとさわりだけを紹介すると、主人公は小説家で一児の母でもある吉岡真紀(篠原ゆき子)。スランプでなかなかいい作品が書けなくて悩んでいるところに、朝っぱらから隣の部屋でけたたましい音がする。マンションの隣人、若田美和子(大高洋子)が大音量で布団をたたいているのだ。イライラが募る真紀が次に取った行動とは……。

 と、これ以上ストーリーに触れると、この映画の醍醐味を損ねてしまう。それくらい予測不能な意外性にあふれている作品なのだ。ついでに言うと、コメディーだけどホラーのようでもあり、現代の情報過多の世の中を鋭く風刺した社会派の一面もある。映画は2019年には完成しており、コロナ禍による自粛警察やネットでの誹謗中傷といった問題が起きる前だったが、まるで今年を予見していたかのようにも思える。まあ、すごい映画を作ったもんだというのが正直な感想だ。

 そんな中でも、とりわけこの映画を魅力的にしているのは、なんと言ってもあっと驚く構造だろう。これに関してはネタバレどころか作品の肝の肝なので、口が裂けても教えるわけにはいかない。

 一つだけヒントを挙げるなら、天野千尋監督が脚本を書くときに意識したのは、黒澤明監督の「羅生門」(1950年)だったという。映画を見た後では、なるほどな、という気がするが、実は天野監督にはインタビュー取材をしている。その記事は映画情報サイト「ミニシアターに行こう。」(http://mini-theater.com/2020/12/03/46753/)に寄稿しているから、興味のある人は読んでみてほしい。こちらもネタバレにならない程度に、でも監督の伝えたいことはわかるように書いたつもりだ。

 とにかく映画は事前に詳しく知らないで見るのが一番だし、だからこそ得られる感動も大きいというのは間違いない。そうして、この「ミセス・ノイズィ」のように一度目に驚きを体験したら、今度は確認の意味で二度、三度と見てみたくなる。そんなすてきな映画に出合うことができた幸せを今、かみしめている。(藤井克郎)

 2020年12月4日(金)から、TOHOシネマズ日比谷など全国で順次公開。

©「ミセス・ノイズィ」製作委員会

天野千尋監督作「ミセス・ノイズィ」から。隣人の騒音に悩まされた真紀(中央、篠原ゆき子)は…… ©「ミセス・ノイズィ」製作委員会

天野千尋監督作「ミセス・ノイズィ」から。隣人の美和子(大高洋子)は果たしてミセス・ノイズィなのか…… ©「ミセス・ノイズィ」製作委員会