「国葬」セルゲイ・ロズニツァ監督

 一口にドキュメンタリー映画と言っても、その形態はさまざまだ。1人の人物に密着して撮影するものもあれば、たくさんの証言を集めることもあるし、何年もの間、定点観測をして作り上げる場合もある。

 この「国葬」のようなドキュメンタリーは、アーカイヴァル映画というらしい。アーカイヴとは記録とか保存といった意味で、アーカイヴァル映画は過去の記録映像を使って仕上げる作品のことを指す。などと言うと、自分で撮影もしないでどこに作家性があるの、と思いがちだが、ウクライナ出身の鬼才、セルゲイ・ロズニツァ監督の手にかかると、とてつもなく個性にあふれたすさまじいドキュメンタリーになっていた。

 時は1953年3月5日。旧ソ連の独裁者、スターリンが74歳でこの世を去る。このとき、200人弱のカメラマンが駆り出され、国葬にかかわるあらゆる映像を記録した。2017年にリトアニアで発見されたその大量のフィルムを基に、ロズニツァ監督がアーカイヴァル映画として編集したのが、この「国葬」だ。

 画面は、スターリンの死から時系列に沿って展開される。速報を伝える無線放送が流れる中、モスクワだけでなくバルト3国から中央アジア、シベリアと、ソビエト全土で町の中心部に人々が集まってくる映像に始まり、周恩来ら共産圏の首脳が次々とモスクワに駆けつける姿、モスクワの目抜き通りを群衆が詰めかける中、スターリンの遺体を乗せた車が粛々と進んでいく様子、そして新たな指導者たちが悲しみの演説を行うまで、途切れることなく延々と続いていく。その間、一切のナレーションや字幕はなく、音楽もモーツァルトのレクイエムなど現場で流れているものだけ。それでいて2時間15分の間、全く飽きさせずに画面にくぎ付けにするんだから、どんな魔法が込められているのやら。

 特筆すべきは、モノクロとカラーの映像が目まぐるしく入れ替わることだ。恐らく別々のカメラマンが収めた映像をつなぎ目がないように編集したためであって、その丁寧で緻密な作業には驚きを禁じ得ない。

 ここに見えているのは、スターリンの国葬を見守る何万何千という群衆一人一人の顔であり、でもこれだけの人がいながら、なぜか個人が浮かび上がってこない。涙を流している女性も多いが、本当に悲しんでいるのか、悲しく振る舞わないといけないと思い込んでいるのか、どうとでも受け取れる。まだ雪が積もっているところもある中、じっと無表情で立ち尽くす人、人、人。ここから何を感じるかはあなた次第、ということなのだろう。過去の映像を用いて、ただ淡々と提示しただけの風景から、ここまでの深い洞察を突きつけられるとは思ってもみなかった。

 ロズニツァ監督の作品が日本で公開されるのは今回が初めてで、2019年製作の「国葬」と同時に、2018年の「粛清裁判」、2016年の「アウステルリッツ」も一挙に上映される。この2作品は残念ながら試写で見ることができなかったが、「粛清裁判」が「国葬」と同じアーカイヴァル映画であるのに対し、「アウステルリッツ」はロズニツァ作品のもう一つの柱、オブザベーショナル映画と呼ばれる各時代の表象を考察するドキュメンタリーだという。こちらもどんな驚きが待っているのか、大いに興味をそそられる。(藤井克郎)

 2020年11月14日(土)から12月11日(金)まで、シアター・イメージフォーラムで3作一挙公開。全国で順次ロードショー。

©︎ATOMS & VOID

オランダ、リトアニア合作映画「国葬」から ©︎ATOMS & VOID

オランダ、リトアニア合作映画「国葬」から ©︎ATOMS & VOID