「チャンシルさんには福が多いね」キム・チョヒ監督

 新作が来るたびに必ずと言っていいほど見にいく映画作家に、韓国のホン・サンス監督がいる。ちょっととぼけた味わいに一対一のだらだらした会話、意味ありげなズームアップなど、毎回お定まりの突っ込みどころが癖になるんだよね。多作でもあり、すべての監督作が日本で公開されるとは限らないが、昨秋の東京フィルメックスでは、さっそくベルリン国際映画祭で監督賞に輝いた「逃げた女」を見たくらいだ。

 そのホン・サンス作品のプロデューサーを務めていたキム・チョヒ監督が初めての長編に挑んだのが、「チャンシルさんには福が多いね」だ。何か大きな出来事が起こるわけでもなく、どことなくほんわかとした雰囲気が漂うのは、ホン監督譲りかなとも思うが、でも一方で随所にオリジナリティーが顔を出すとてもいとおしいハートフルなコメディーに仕上がっていた。

 主人公のチャンシルさん(カン・マルグム)は、キム監督自身を彷彿とさせる女性の映画プロデューサー。監督ら映画スタッフと次回作の打ち合わせを兼ねた飲み会で盛り上がっているさなか、ベテラン監督が急死してしまう。このあたり、ホン監督をイメージしているのかなと思うと、毒を感じて笑いが込み上げる。

 それまで仕事一筋だった40歳のチャンシルさんは、やりがいを失って自分には何も残っていないことに気がつく。坂の上の借間に引っ越して、仲のよい若手女優のソフィ(ユン・スンア)宅で家政婦まがいの手伝いをしながら何とか生活するものの、むなしさは消えない。ソフィのフランス語教師、ヨン(ぺ・ユラム)と飲みにいけば、大好きな小津安二郎監督の映画をけなされて喧嘩になってしまう。

 そんなチャンシルさんの前に、冬なのに白いランニングシャツにボクサーパンツ姿の男(キム・ヨンミン)が現れる。かつての香港のスター、レスリー・チャンだと名乗るこの男の正体は……。

 彼の存在が、この映画を唯一無二の豊かなテイストに仕立てている。ランニングシャツ姿のレスリー・チャンと言えば、ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼」(1990年)の主人公で、小津監督の「東京物語」(1953年)やエミール・クストリッツァ監督の「ジプシーのとき」(1989年)などと並んでチャンシルさんが好きな映画として語られる作品だ。このレスリーがちらりちらり現れては、騒動だけ巻き起こしていつの間にか消えていく。映画愛と笑いの要素を一身に引き受けつつ、なかなか本音を語らないチャンシルさんの本心を映し出す鏡のようにも見える。

 一方で、チャンシルさんが間借りをする大家さん(ユン・ヨジョン)が娘を失ったエピソードなど、映画はお年寄りの女性の生き方にも迫る。40歳で仕事がない、彼氏もいない、お金もないチャンシルさんだけど、もっと年配の女性たちだってみんな苦労をして年齢を重ねてきた。そんな人生の先達に対するキム監督の敬意と同時に、40代という同世代の女性へのエールも込められているように感じる。

 生きていくというのは、つらいこともあるだろう。でもすてきな映画を見ているときは幸せで、そんな思い出がいっぱい詰まった人生は決して福が少なくはない。そんなささやかな真実がさりげない笑いでつづられていて、映画好きとしてはこれ以上ないふくよかな気分になった。(藤井克郎)

 2021年1月8日(金)から、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷など、全国で順次公開。

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キム・チョヒ監督作「チャンシルさんには福が多いね」から。40歳で職を失ったチャンシルさん(カン・マルグム)だが…… © KIM Cho-hee All RIGHTS RESERVED/ ReallyLikeFilms

キム・チョヒ監督作「チャンシルさんには福が多いね」から。レスリー・チャンを名乗る男(キム・ヨンミン)の正体は…… © KIM Cho-hee All RIGHTS RESERVED/ ReallyLikeFilms