「破壊の自然史」「キエフ裁判」セルゲイ・ロズニツァ監督

 アーカイヴァル・ドキュメンタリーという芸術表現を知ったのは、ベラルーシの生まれでウクライナで育ったセルゲイ・ロズニツァ監督の作品を通してだ。過去の記録映像だけを用いたドキュメンタリーのことで、2020年に「国葬」(2019年)など3作品の同時公開で初めて日本に紹介されたが、作為的なナレーションも演出も加えていないのに、こんなにも気持ちを揺さぶられる作家性の強い映画に仕上がっていることに驚いた。何より作品として構築するにはその何百倍もの膨大な量のフィルムを整理、選択しているわけで、気が遠くなるような制作過程を思うと本当にすごいとしか言いようがない。

 その新作2本がまたも同時に日本にやってくる。どちらも戦争がテーマになっていて、ドイツ、オランダ、リトアニア合作の「破壊の自然史」は2022年のカンヌ国際映画祭の特別上映作品、オランダ、ウクライナ合作の「キエフ裁判」は同年のベネチア国際映画祭の正式出品作品として選出されるなど、世界が注目する話題作だ。

「破壊の自然史」は主にドイツが舞台になっている。冒頭、何とも陽気なクラリネットの音色が流れる中、大勢の人々がカフェや街頭で歌い踊り、おしゃべりし、のんびりと時を過ごす。はっきりと映し出される一人一人の表情はいずれも笑顔で、実に平和なひとときだが、その後、連合国軍の激しい空爆を受け、跡形もなく破壊されることになる。この対比はロズニツァ監督の強い意思の表れだろうし、日常をことごとく奪い去る戦争の無慈悲さを強調したかったのに違いない。

 興味深いのは、この徹底的に破壊され尽くすのがドイツの都市ということだ。第二次世界大戦のドイツは、ヒトラー率いるナチスの非人道的な政策のせいで何ら弁護の余地はなく、戦争被害のイメージはほとんどない。でも日本と同様、激しい空襲にさらされたのは事実で、おびただしい数の無辜の市民が犠牲になっている。

 映画の中には、ドイツへの徹底抗戦を呼びかけるイギリスのチャーチル首相の演説なども組み入れられているが、どれだけ正義を振りかざしても、爆撃でたくさんの人々が死んでいくのは明らかに殺戮であり、その残虐性には勝者も敗者も違いはない。戦火の中では正義や大義名分などは何の意味もなさず、跡には大量の死体が転がっているだけだ。

 そんなシニカルな視点も込めつつ、だが単に空爆の被害を描くだけではないというところに、ロズニツァ監督の鋭い批判精神、絶妙なバランス感覚が感じられる。映画の中で、フルトヴェングラーが指揮するワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲を、軍需工場で軍人も民間人も一緒になって聴き入る風景が登場する。例によってナレーションも字幕もなく、いつのどういうコンサートなのかは推し量るしかないのだが、会場を埋め尽くした聴衆の表情はみな一様に硬く、ただただ義務感のように音楽を聴き入れ、演奏が終われば軍機製造に精を出す。

 音楽は本来、冒頭のシーンのように和やかに楽しむはずのものなのに、このコンサート場面からはリラックスした気分はみじんも感じられない。ワーグナーもフルトヴェングラーもヒトラーのお気に入りというのも皮肉だし、戦争は街だけでなく文化をも破壊するという意味で、象徴的な描写かもしれない。

 一方の「キエフ裁判」は、第二次大戦後に旧ソ連の一員だったウクライナのキエフ(キーウ)で開かれたナチスドイツの戦争犯罪を裁く法廷の映像で構成されている。大戦中、キエフ郊外のバビ・ヤールではナチスによるユダヤ人の大量虐殺が実行され、ロズニツァ監督はすでにこの事件をモチーフに「バビ・ヤール」(2021年)というアーカイヴァル・ドキュメンタリーを発表している。

「キエフ裁判」はその対をなす作品で、立錐の余地もないほど傍聴人でぎゅうぎゅう詰めの中、ドイツ軍人の被告人質問やウクライナ人、ユダヤ人の証人尋問などの様子が延々と映し出される。ドイツ語の通訳の言葉もカットすることなく収められていて、まるで傍聴人の一人として裁判に参加しているような臨場感だが、裁判記録だけの映像からウクライナでどんな悲惨なことが起きたのかがまざまざと感じられるから不思議だ。

 中でも証人に立った教会の神父が、言葉で説明できないほどの絶望を体験したという老婦人と出会ったときの証言にはびっくりさせられる。神父自身、まさに言葉にならない状態に陥っていて、こんな極限の表現があるということに、戦争の恐ろしさを認識せずにはいられない。

 虐殺から奇跡的に生き残った女性の証言は、前作の「バビ・ヤール」でも使われていたアーカイブのように思うが、とにかく強烈過ぎる体験で、字幕を読んでいるだけで感情のうねりが押し寄せてくる。「破壊の自然史」と異なり、戦争で犠牲になった死体は映っていないにもかかわらず、画面からは紛れもなく悲惨な死のイメージがあふれ出てきて、これこそが映画の力なのだろうと実感した。

 実は当方も一度だけ、戦場に赴いたことがある。と言っても戦争ではなく、1989年にフィリピンで軍事クーデターが企てられ、反乱軍と正規軍との間で小競り合いが起きた現場の取材だったが、それでも銃弾が飛び交い、民間人やジャーナリストも何人か犠牲になった。知らぬ間に交戦地帯に足を踏み入れていて、銃声がしたかと思ったら頭上の植え込みがバサッと音を立てたという体験もした。その恐怖と言ったらなかったが、不思議なもので何日かすると感覚が麻痺してきて、銃口がこちらに向けられていてもさほど怖さを感じなくなってくる。戦争の本当の恐ろしさは、異常さが日常化してくることなのかもしれないと思ったものだ。

 現在もウクライナをはじめ、世界各地で銃撃や爆撃が行われ、多くの人々が犠牲になっている。テレビなどの報道からはなかなかその実感は得にくいが、「破壊の自然史」の教会に横たわった赤子の死体など、ロズニツァ監督が怒りと嘆きを込めて編み上げた映像からは、戦争の真の姿が浮かび上がってくる。どんな戦争にも正義などないということが。(藤井克郎)

 2023年8月12日(土)から、シアター・イメージフォーラムで2作品同時公開。

©LOOKSfilm, Studio Uljana Kim, Atoms & Void, Rundfunk Berlin-Brandenburg, Mitteldeutscher Rundfunk

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セルゲイ・ロズニツァ監督のドイツ、オランダ、リトアニア合作映画「破壊の自然史」から ©LOOKSfilm, Studio Uljana Kim, Atoms & Void, Rundfunk Berlin-Brandenburg, Mitteldeutscher Rundfunk

セルゲイ・ロズニツァ監督のオランダ、ウクライナ合作映画「キエフ裁判」から ©Atoms & Void