「ファヒム パリが見た奇跡」ピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル監督

 国際的スターって感じでもないけど、今でも現役でスクリーンを彩るフランスの大物俳優というと、やっぱりこの人だろう。ジェラール・ドパルデューは、何を隠そう今から28年前、映画担当記者になって初めてインタビューをした外国人俳優として、強く印象に残っている。彼がコロンブスを演じたフランス・スペイン・イギリス合作「1492 コロンブス」(1992年、リドリー・スコット監督)のプロモーションでの来日だったが、たばこのにおいか、はたまた体臭なのか、ホテルの部屋が異様に臭かった記憶がある。

 当時43歳とまさに油が乗り切っていた時期で、ちょうどこの年にカンヌ国際映画祭の審査委員長を務めたこともあってか、極めて国際的な発言をしてくれた。いわく「フランスは映画が誕生したときから世界を受け入れてきた。映画だけでなく、19世紀にはドストエフスキーらロシアの作家が、その後はヘミングウェイやヘンリー・ミラーらアメリカの作家が集まった。モンパルナスで画家たちの交流もあった。フランスは文化が交流する場としての伝統がある。これからも海外の影響力の強い芸術家と出会い、お互いの文化の融合を目指したい」。

 ドパルデューの最新作「ファヒム パリが見た奇跡」は、まさにあらゆる文化を受け入れてきたフランスの今を物語る作品と言えるだろう。実話に基づくというから、改めてフランスの懐の深さを見せてくれた。

 ファヒム(アサド・アーメッド)はバングラデシュに住む8歳の男の子だ。反政府活動をしていたことから身の危険を感じた父親は、ファヒムと2人でフランスに脱出することを決意する。何とかパリの難民センターにたどり着いたものの、故郷に残る母親のことを思い、悲しみと不安で押しつぶされそうになる中、唯一の心のよりどころはチェスだった。

 実はファヒムはバングラデシュでもチェスの天才少年として知られていたが、パリでは言葉も通じない。父親に連れられていった子どもたちのチェス教室をおっかなびっくりのぞくと、そこには何とも気難しい鬼コーチが大声を張り上げていた。

 このコーチを演じるのがドパルデューで、ぶっきらぼうに見えながら、子どもたちには分け隔てなく接する。言葉がわからず、いつも遅刻ばかりしてくるファヒムにいらいらするものの、すぐにチェスの才能を見抜いて鍛え上げ、何とか大会に出場させようとする。だが、というところで、フランスにも横たわる難民問題の難しさが浮き彫りになる。

 映画は、この社会性にチェスの勝負のハラハラドキドキが加わって、見る者をぐんぐん引きつける。だだっ広い会場にぎっしり詰まった大勢の子どもたちがチェス盤をはさんで対峙し、丁々発止の闘いを繰り広げるさまは、まさにスポーツの醍醐味そのものだ。チェスは時間の勝負で、コマを動かしたらすぐさま時計を押してメモを取る。この一連の素早い動作が緊張感をはらみ、スクリーンからいっときも目が離せない。

 何より、ファヒムが異文化を受け入れようとして必死にもがく描き方が素晴らしい。俳優でもあるピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル監督は、バングラデシュの文化に最大限の敬意を払いながら、でも難民としてフランスで暮らすならフランスの文化を受け入れる必要があるということを、決して声高に主張するのではなく、ユーモアを交えてさらっと表現する。

 一方で、チェスは西洋の文化かもしれないが、肌の色、人種の違いで不適合とみなしてはいけない、真剣にこの文化に向き合っているファヒムは立派なこの文化の継承者だ、という意識で一貫している。チェス教室の仲間も先生も誰一人、ファヒムのことを外国人だからとは見ていないし、チェスの腕前だけでなく、フランス語も急速に上達していくファヒムのことをみんな尊敬している。こういう描写を淡々とやってのけるというのは、さすが多文化を受け入れてきたフランスだけのことはあると感じ入った。

 それにしてもドパルデューだ。彼は数年前、フランス政府の税制に反発して移住を表明。その後、ロシア国籍を取得したと報道されて、あっと言わせた。そんないわくつきの俳優をこういう社会性を帯びた映画に出演させ、しかもこんなにいい味を引き出しているというのも、フランスならではかもしれないね。(藤井克郎)

 2020年8月14日から、ヒューマントラストシネマ有楽町など全国で公開。

©POLO-EDDY BRIÉRE.

フランス映画「ファヒム パリが見た奇跡」から。鬼コーチのシルヴァン(右、ジェラール・ドパルデュー)のチェス教室に通うことになったファヒム(アサド・アーメッド) ©POLO-EDDY BRIÉRE.

フランス映画「ファヒム パリが見た奇跡」から。子どもたちは力を合わせてチェス大会に挑む ©POLO-EDDY BRIÉRE.