「コーダ あいのうた」シアン・ヘダー監督

 真冬のスキーリゾート地で開かれる世界最高峰の自主映画の祭典、サンダンス映画祭(米ユタ州)は、今年2022年もオンラインだけの開催となった。1月20日からリアルとバーチャルのハイブリッドで実施する予定だったが、新型コロナウイルスのオミクロン株感染拡大を受けての措置のようだ。これでスクリーンでの上映や対面イベントは、2年連続で中止となる。

 雪をも溶かすほど熱狂的と言われるサンダンス映画祭には、一度だけ参加したことがある。1998年のことで、取材ではなく単なる一観客として出かけたから、どの作品もちゃんと列に並んで当日券を購入して入場した。雪が降り積もる極寒の中、劇場の外で長い時間待った揚げ句、ようやくチケットが買えると思ったら、2、3人前で売り切れ終了ということもあった。それでも周りのアメリカ人の映画ファンは別に文句を言うでもなく、ああ残念、てな具合であっさりしている。見習わなくっちゃな、と思ったものだ。

 それよりも大変だったのは、映画祭が開かれるパークシティーでホテルが予約できなかったことだ。スキー客に映画ファンも加わるからかどこもかしこも満室で、仕方なく近隣で最大の都市、ソルトレークシティーから毎日レンタカーで往復した。最終上映が終わると深夜0時を過ぎていたが、そこから猛吹雪の中、前もよく見えない高速道路を時速70マイル以上でぶっ飛ばして40分ほどの道のりを帰った記憶が強烈に刻み込まれている。

 もちろん映画とのすてきな出合いもあって、1時間ほど並んで見た「ワンダーランド駅で」(1998年、ブラッド・アンダーソン監督)なんていい作品だったもんなあ。ちなみに直前でチケットが売り切れた人気作は「バッファロー’66」(1998年、ヴィンセント・ギャロ監督)だった。

 閑話休題、昨年2021年のサンダンスで話題を呼んだ「コーダ あいのうた」が、いよいよ日本で公開される。サンダンスではオンラインでの上映だったが、最高賞のグランプリをはじめ、観客賞、監督賞、アンサンブルキャスト賞の4冠を獲得。ある意味、通常のスクリーン上映以上に幅広い観客に支持されたとも言えるわけで、アカデミー賞の有力作品とも目されているらしい。

 コーダ(CODA)とは、楽曲の締めを表す音楽記号とともに、Child of Deaf Adults(聾者の親を持つ子ども)のことを意味する。主人公のルビー(エミリア・ジョーンズ)は、米マサチューセッツ州の小さな港町に両親と兄の4人で暮らす高校生。彼女だけが家族の中で耳が聞こえ、漁師の家業を手伝いながら、手話通訳として家族のコミュニケーションを手助けしてきた。新学期が始まり、合唱クラブを選択したルビーは、先生から歌の才能があると指摘され、伝統あるボストンのバークリー音楽大学を目指すよう勧められる。だがルビーは、耳の聞こえない家族を置いて自分の道を進むことにはためらいがあった。

 もともとフランス映画の「エール!」(2014年、エリック・ラルティゴ監督)のリメイクで、実家の職業が農業から漁業に代わっていることと使われている楽曲が違うこと以外は、ほぼ同じシチュエーションになっている。コーダの少女が家族への思いと自分の夢との間で板挟みになって悩むという構図も一緒だが、とにもかくにもこの作品、ルビーを演じたイギリス出身のジョーンズに圧倒されっぱなしだった。

 何しろ歌声も力強ければ、手話も自在にこなすし、演技も思春期の微妙な心の機微を、時に繊細に、時に大胆に演じてみせる。何度も何度も崖から飛び降りる度胸のよさも一級品なら、家族思いのけなげさを決して型通りではなく伸び伸びと表現する。子役から活躍しているということだが、近い将来、アカデミー賞ノミネートの常連になるのは間違いなしと思わせるくらいだ。

 さらに彼女だけではなく、父親を演じたトロイ・コッツァーに母親役のマーリー・マトリン、兄役のダニエル・デュラントの3人の存在感も見逃せない。いずれも聴覚に障害がある俳優で、中でも母親役のマトリンは「愛は静けさの中に」(1986年、ランダ・ヘインズ監督)でアカデミー賞主演女優賞に輝いている名優だ。父親と兄貴も、もう何年も漁船に乗って魚を捕っているような海の男になりきっているし、実際に船の上での作業は演技の域を超えている。よくぞ漁業という職業を考えたものだと感心すると同時に、聴覚障害の当事者ならではの現実感と演技の訓練を積んだ確かな表現力があるからこその自然な家族の形であり、サンダンスでアンサンブルキャスト賞を受賞したのもうなずける。

 もう一つ特記しておきたいのが、ルビーたちが合唱で歌う楽曲の数々で、デヴィッド・ボウイやアイズレー・ブラザーズなどの往年のポップスを、グルーヴ感たっぷりに歌い上げる。日本で合唱というと、いわゆる合唱曲なるものをみんなで息を合わせて歌うというイメージだが、ここでは曲だって歌い方だってどこか自由で生き生きとしていて、歌うって楽しいことなんだ、というのがストレートに伝わってくる。と言って、別に日本の合唱曲が楽しくないというわけじゃないけどね。

 ルビーが一人で歌う「青春の光と影」なんか誰もが耳にしたことのある名曲だし、これがまたいい使われ方なんだ。果たして音楽の素晴らしさは、耳が聞こえない家族にも伝わるのか。その繊細な問いかけが、ルビーの成長と葛藤、それにちょっとの恋模様が絡み合う中で浮かび上がってきて、地元マサチューセッツ州出身で女性のシアン・ヘダー監督の熱い思いを感じ取った。(藤井克郎)

 2022年1月21日(金)、TOHOシネマズ日比谷など全国で公開。

© 2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS

アメリカ映画「コーダ あいのうた」から。耳の聞こえない家族の中で生きる健聴者の少女の物語が展開される © 2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS

アメリカ映画「コーダ あいのうた」から。ルビー(エミリア・ジョーンズ)は歌の才能を認められるが…… © 2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS