「聖地には蜘蛛が巣を張る」アリ・アッバシ監督

 イラン出身で北欧を拠点に活動するアリ・アッバシ監督の最新作「聖地には蜘蛛が巣を張る」は、娼婦連続殺人事件をモチーフにした社会派娯楽作だ。実はこの題材、1週間前の4月7日に公開が始まったイタリアン・ホラーの帝王、ダリオ・アルジェント監督の「ダークグラス」と奇しくもかぶっている。

 あちらはあちらで、夜のローマを舞台に、正体不明の犯人が白いバンで不意に現れる不気味さが、アルジェント監督ならではの残忍な描写と相まって、どきどきしつつも思い切り楽しめた。主人公が娼婦という必然性も、社会性よりは犯人との接点や少年を連れた逃避行という部分で重要な要素となっていて、全く無理がない。現在80歳を超えたアルジェント監督の作品の中でも、名作の誉れ高い「サスペリアPART2」(1975年)に匹敵するサスペンス性にあふれた娯楽作ではないだろうか。

 で、本題の「聖地には蜘蛛が巣を張る」だが、こちらはイスラム教シーア派の聖地とされるイラン第2の都市マシュハドで、2000年から2001年にかけて16人の女性が犠牲になった実際の事件から着想。娯楽性を兼ね備えながらも、イスラム社会に今も根強く横たわる女性差別への鋭い風刺を込めた問題作に仕上がっている。

 マシュハドで、夜の街に立つ女性たちが次々と殺されるという事件が発生する。首都テヘランから取材のためにこの街にやってきたジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)は、捜査を担当する警察幹部や聖職者の判事らに接触を試みるが、女性という理由でまともに取り合ってくれない。果敢にも夜の街に繰り出したラヒミは若い娼婦と出会い、売春をせざるを得ない彼女たちの厳しい現実を知る。そのころ、敬虔なイスラム教徒でよき家庭人でもあるサイード(メフディ・バジェスタニ)は、夜の街でバイクを走らせていた。

 サスペンスという観点で言うと、犯人は意外にあっさりと明かされて拍子抜けするくらいだが、ここからぐいぐいと引っ張っていく作劇術の巧みさにアッバシ監督のすごみを感じる。あんなにも妻を愛し、子どもを大切に思う社会性のある男が、なぜ残忍な連続殺人鬼になり得るのか。その背後には女性差別の共通認識、娼婦という存在への社会嫌悪が色濃くあって、16人もが惨殺されているのに、住民の中には犯人を擁護するどころか、街を浄化してくれていると英雄視する動きも出てくる。時代設定は実際に事件が起きた2001年となっているものの、恐らくイランの実情は今もそれほど変わってはおらず、そんな現実をイラン出身のアッバシ監督は屈辱的と感じ、この大胆な映画化に踏み切ったに違いない。

 とは言え、ここに描かれているのは決して遠い世界のおとぎ話というわけではない。この映画に出てくる男性は、それも警察官や検事、聖職者といった社会的に権力のある立場の男どもは、いずれも女性への敬意はまるで持ち合わせておらず、さんざん娼婦を軽蔑していながら、ジャーナリストのラヒミを手込めにしようとする者までいる。似たようなセクハラ案件は、この令和の日本でも後を絶たないのが実情だし、根本は一人一人の意識の問題だというのは、アッバシ監督もこの映画の中で最も力を込めている点だろう。

 そんな社会性を前面に押し出しながら、一方で娯楽性もたっぷりと盛り込んでいるのがまた、アッバシ監督の見事なところだ。殺人鬼だけでなくいかにも邪悪な何かが潜んでいそうな夜の郊外の風景に、さまざまな場面で見え隠れするバイクの影、それに犯人が遺体処理に焦りまくる心理描写など、古今東西のサスペンス映画が用いてきた王道的な表現が随所に織り込まれている。第75回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞したラヒミ役のザーラ・アミール・エブラヒミが見せる凛とした表情を含め、多くの人に意識を改めてほしいと願う作り手の切実な思いが伝わってきた。(藤井克郎)

 2023年4月14日(金)から、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、TOHOシネマズ シャンテなど、全国で順次公開。

©Profile Pictures / One Two Films

デンマーク、ドイツ、スウェーデン、フランス合作のアリ・アッバシ監督作品「聖地には蜘蛛が巣を張る」から。娼婦連続殺人事件の取材で聖地マシュハドに来たジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)は…… ©Profile Pictures / One Two Films

デンマーク、ドイツ、スウェーデン、フランス合作のアリ・アッバシ監督作品「聖地には蜘蛛が巣を張る」から。夜になるとマシュハドの郊外には、行き場のない女性たちが春を売りにやってきていた ©Profile Pictures / One Two Films