「1秒先の彼女」チェン・ユーシュン監督

 日本の監督だとデビュー作を手がけた若手に取材することはよくあるし、その後の活躍ぶりをフォローするのも記者としての楽しみの一つなのだが、これが海外の映画人となるとそう簡単にはいかない。そもそもよっぽどの話題作でなければ第1作が日本で公開されることはないし、あったとしても監督が来日するとは限らない。世界の巨匠に取材するのも大変だけど、将来性のある新人監督に出会うというのは、めったにない貴重な機会なんじゃないかな。

 最新作の「1秒先の彼女」が6月25日に公開される台湾のチェン・ユーシュン(陳玉勲)監督に取材したのは、1997年2月のことだ。長編1作目の「熱帯魚」(1995年)の日本公開を間近に控えての来日で、受験戦争と誘拐事件という社会派ネタを題材にしたコメディーは、世界で高い評価を受けていた。とはいえ、当時の年齢は34歳と当方よりも若く、ホテルニューオータニでインタビューしたときの印象は、謙虚で真面目な若者くらいしか残っていない。もともとテレビドラマのディレクターをしていたが、「制作会社の社長から、テレビを取り巻く環境はどんどん悪化するから映画をやる方がいい、と言われて、この脚本を書いたんです」と話すなど、映画もそんなに意欲的という感じではなかった気がする。

 その後、2作目の「ラブ ゴーゴー」(1997年)も評判を取るが、ここからしばらく映画づくりから離れてしまう。広告業界に身を置き、CMやミュージックビデオでの活躍を経て、本格的に映画監督に復帰したのは2013年の「祝宴!シェフ」と、16年ぶりのことだった。今度の「1秒先の彼女」でようやく長編5作目に過ぎないが、もっといっぱい作ればよかったのに、と思うほど、この新作は映像感覚もユーモアのセンスも研ぎ澄まされた素晴らしい作品に仕上がっていた。

 主人公のシャオチー(リー・ペイユー=李霈瑜)は、郵便局の窓口で働くパッとしない30がらみの女性。何をやるにしても人よりワンテンポ早いというのが悪い癖で、写真に写っている顔は必ず目を閉じている始末だ。

 そんなおっちょこちょいで憎めない彼女に、公園でダンスを教えているリウ(ダンカン・チョウ=周群達)が言い寄ってきて、バレンタインデーのイベントに一緒に行く約束を交わす。台湾では旧暦の7月7日がバレンタインデーとして、愛を告白する日とされている。運命の当日、シャオチーはいつものように目覚まし時計よりも早く目が覚め、余裕を持ってバスに乗り込んだはずだったが、気がつくと顔が真っ赤に日焼けして、大切な1日が消えていた。

 この冒頭のシチュエーションだけでも謎に満ちてわくわくさせられるのに、映画はもう一人、郵便局の窓口に毎日やってくるグアタイ(リウ・グァンティン=劉冠廷)という、こちらは人よりワンテンポ遅い男にも焦点を当てる。いったいこの2人の間にどんな接点があったのか。

 この謎のちりばめ方と回収の仕方が見事で、そこにSF的な要素とびっくりするような映像処理、そしてほれぼれするように美しい風景と、娯楽映画のあらゆる楽しみが目いっぱい詰まっていて、極上の時間を味わった。一例を挙げると、消えた1日の謎を追って街を歩いていたシャオチーは、写真館の店頭で自分の肖像写真を目にする。いつも目を閉じた姿しか撮られないのに、その写真は目をぱっちりと開けてほほ笑んでいる。背景はどこかの海辺みたいだし、いったいいつ、どこで撮られたのか。シャオチーと一緒に、われわれ観客も謎解きの旅を続けることになる。

 映像感覚にもチェン監督らしいさまざまな創意工夫が施されている。部屋に住みついているヤモリの擬人化は、この映画のファンタジー要素を強調しているし、一方で夕日をバックに海辺の一本道をバスが走っていく俯瞰のショットは、大画面で見るからこその映画的な美しさに満ちている。さらに何といってもシャオチーを演じたリー・ペイユーが実に魅力的。コンプレックスだらけの女性をチャーミングに演じ、でも決してとってつけたような不自然さはなく、30歳になるまで彼氏がいないという設定も全く違和感がない。キャラクター、ストーリー、イメージと、すべてが絶妙な塩梅で組み立てられていて、台湾アカデミー賞と呼ばれる金馬奨で、作品賞、監督賞など5冠に輝いたのもうなずける。

 それにしてもチェン監督はもうすぐ60歳になろうというのに、この若々しくてみずみずしい感性はどうだろう。映画を離れていた16年間もそのまま続けていたら、今ごろどんな巨匠になっていただろうと思うが、逆にほかの業界で表現を磨いていたからこそ今があるのかもしれない。時間がテーマの作品を見て、映画監督の時間についても思いを巡らせた。(藤井克郎)

 2021年6月25日(金)、新宿ピカデリーなど全国で公開。

©MandarinVision Co, Ltd

チェン・ユーシュン監督の台湾映画「1秒先の彼女」から。郵便局の窓口で働くシャオチー(リー・ペイユー)は、人よりもすべてがワンテンポ早かった ©MandarinVision Co, Ltd

チェン・ユーシュン監督の台湾映画「1秒先の彼女」から。海辺を走るバスはどこへ…… ©MandarinVision Co, Ltd