「スイート・マイホーム」齊藤工監督

 スポーツの場合、「名選手、必ずしも名監督にあらず」とはよく言われる言葉だが、映画界を見渡せば、名監督と呼ばれる名優は世界中にごまんといる。アカデミー賞常連のクリント・イーストウッドを筆頭に、ベン・スティラー、メル・ギブソン、ジョディ・フォスター、ベン・アフレック等々いくらでも名前が挙がるし、日本でも古くは田中絹代、山村總から、伊丹十三、奥田瑛二、竹中直人、桃井かおり、オダギリジョーと、映画監督として評価も実績も十分すぎる主役級の役者は数え上げればきりがない。

 斎藤工もそんな一人で、映画監督としては本名の齊藤工の名義で活動するほどの腰の入れようだ。初の長編監督作「blank13」(2018年)は上海国際映画祭の新人監督賞をはじめ国内外の映画祭で数々の賞に輝いているし、2作目の「COMPLY+-ANCE」(2020年)もロサンゼルス日本映画祭で作品賞など2冠を獲得。ほかにもアジア6カ国の監督によるドラマシリーズ「フォークロア」(2018年)の1編「TATAMI」を手がけたり、竹中直人、山田孝之と3人で「ゾッキ」(2021年)の共同監督を務めるなど、活動の幅は広範囲にわたっている。

 で、ついにと言うか、いよいよと言うか、「スイート・マイホーム」で原作ものの商業映画に進出することと相なった。しかもこの作品、ホラーの要素もミステリーのテイストも併せ持ったいわゆるジャンル映画で、エンターテインメントの極致でありながら一方で現代日本が抱える社会性も色濃く反映されているという、まるで奇跡のような傑作に仕上がっている。

 原作は小説現代長編新人賞を受賞した神津凛子のデビュー作で、ストーリーに関してはほぼ忠実に映画化している。

 長野県に住むスポーツインストラクターの賢二(窪田正孝)は、アパートの部屋のあまりの寒さに引っ越しを計画。妻のひとみ(蓮佛美沙子)と幼い娘とともに住宅展示場を訪ねると、営業担当の本田(奈緒)から全室に暖房が行き届いた「まほうの家」を勧められる。引きこもりの兄(窪塚洋介)と2人で実家に暮らす母(根岸季衣)のことが気がかりだったが、心配しなくていいという後押しもあり、思い切って新築の一戸建てを買うことにした。2人目の娘も生まれ、新しい家に暮らし始めた賢二一家は、幸せを絵に描いたような家庭に見えたが……。

 地鎮祭が行われているざらついた色調の冒頭から、何か不穏でまがまがしい空気感が漂う。導入部の数分間で人間関係や家の構造などがごく自然な形で示され、何の引っかかりもなくドラマに入り込むことができるのだが、徐々に、と言うよりも、もう突然という感じでホラーとミステリーが頭をもたげてくるから、うわーっ、ということになる。

 一口にホラーと言ってもさまざまな形態があって、血しぶきがどばーっとあふれるスプラッター系もあれば、得体のしれない何かが闇にうごめくゴースト系もある。見た目の怖さ、心理的怖さと映画によっていろいろなパターンがあるが、この作品の場合、一体全体どういう怖さなのか、見ている最中でもまるで説明がつかないのだ。

 主人公の賢二は閉所恐怖症で、セントラルヒーティングが設置されている地下室に入るだけで足がすくめば、引きこもりの兄はいつも何かにおびえていて、賢二に対して「お前はあれが見えないのか」と不気味なことを言う。妻の友人たちが新築祝いに来たときは、かくれんぼをしていた子どもの一人が何かを見てしまい、こわばった表情のまま無言で家を後にする。うう、この家で何が起こっているんだ、という好奇心と、もう恐ろしい描写はやめて、という恐怖心とがせめぎ合い、画面とどう向き合えばいいのかわからない。

 こうしてどんどんボルテージが上がっていって、ラスト近くにはさらにぎょっとする描写の連続になるのだが、これ以上は語るまい。とにかく原作の魅力をそのままに、絶妙な語り口で破綻なく物語を紡いだ倉持裕の脚本と、新築のきれいな家をこれ以上ないほど恐怖のどん底に落とし込んだ金勝浩一の美術と、役者一人一人にアップで迫りながら、その背後の闇まで映し出した芦澤明子の撮影と、そして恐怖の表情など作ってはいないのに、どことなく不気味さを漂わせる出演陣と、あらゆる構成要素が見事に調和している。しかも単なる娯楽でなく、家や家族といった現代の日本に突きつけられた社会的命題まで内包していて、これらをまとめ上げた齊藤監督の手腕には驚くばかりだ。

 実はこの作品、劇場用パンフレットの原稿づくりに携わらせてもらい、齊藤監督へのインタビューなどを担当した。監督インタビューは2時間近くにも及び、撮影の裏話など興味深い逸話をいっぱい聞いたが、特に印象に残ったのは「僕に唯一、作家性があるとすれば、それは白旗を上げること」という言葉だった。

 白旗というのは、わかったふりをしない、背伸びをしない、監督づらをしない、という態度のことで、スタッフ、キャストともすべて専門の職人なのだから、白旗を上げることでそれぞれのクリエイティブな好奇心を引き出すことができるという。「そういう遊び場を作り出すことが、これからの監督業の最低限すべきことだなと思いました」と語っていたが、一人一人の好奇心の集結でこれほどまでの驚異的な作品が生まれるとは、齊藤監督の白旗力ってとてつもないね。(藤井克郎)

 2023年9月1日(金)、全国公開。

©2023『スイート・マイホーム』製作委員会 ©神津凛⼦/講談社

齊藤工監督作「スイート・マイホーム」から。新築のマイホームを買った賢二(窪田正孝)だが…… ©2023『スイート・マイホーム』製作委員会 ©神津凛⼦/講談社

齊藤工監督作「スイート・マイホーム」から。子どもの目に映っているのは…… ©2023『スイート・マイホーム』製作委員会 ©神津凛⼦/講談社