「街の上で」今泉力哉監督

 東京に出てきて12~13年たったころ、どうしても下北沢に住みたくなった。演劇の街というのも魅力だったが、映画を見に行くにはミニシアターも大型の劇場も充実している渋谷や新宿に程近い下北沢が一番だった。そのころはすっかり千葉県の西船橋に落ち着いていて、このままだと文化的に乗り遅れてしまうという焦りもあった。

 1994年の年明け、思い立って下北沢の不動産屋を回った。家賃の相場は西船橋とはえらい違いだった。茶沢通りをどんどん南下していって、ようやく当時の給料でも手が出そうな物件に行き当たったが、淡島通りを優に超えた先で、最寄り駅は下北沢というより三軒茶屋だった。以来、27年が過ぎても三軒茶屋周辺で暮らしている。下北沢はたまに訪れる近所の街で、今もまだ憧れのままだ。

「街の上で」は、この下北沢を舞台にしている。というより、下北沢の街が主役と言っていいかもしれない。下北沢の映画と言えば、市川準監督の「ざわざわ下北沢」(2000年)という、それこそ街の魅力をとことんまで活写した名作があるが、あれに匹敵する、いやもしかすると凌駕すると言っていいくらいの作品になっていて、今泉力哉監督の巧みな手腕に深く感じ入った。

 下北沢の古着屋で働く荒川青(若葉竜也)は、恋人の雪(穂志もえか)から、彼女の誕生日を祝っている最中に別れ話を切り出される。ほかに好きな男がいるというのだ。雪のことを引きずったままの青は、近くの古本屋の店員、田辺さん(古川琴音)に、つい失礼なことを言ってしまう。気に病む青の前に、美術大学で映画を撮っているという学生の町子(萩原みのり)が現れ、自分が監督する映画に出てほしいと頼まれる。撮影の当日、全く演技ができなかった青は、知っている人が誰もいない打ち上げの席で、衣装スタッフのイハ(中田青渚)に声をかけられる。

 といった感じで、青という青年をめぐって何てことのない物語が進んでいくんだけど、世界観といい、語り口といい、カメラワークといい、もろツボにはまったというか、心をわしづかみにされたというのが正直なところだ。基本的に会話は青と誰かとの1対1の場合が多く、しかもかなりの長回しでまるでアドリブのように自然に運んでいく。そのリアクションが何ともおかしくて、くすりとさせられると同時に、次はどんな会話の妙が展開されるのか、わくわく感が止まらないんだよね。

 青は誠実で一途な若者で、でも決して堅物というわけではなく、激高することもない。無理のない優しさを備えていて、そんな彼を取り巻く4人の女性も、みんな性格は違うものの、やっぱり無理のない感じに描かれている。恋愛に関してはそれなりの経験はあるんだけど、実にさばさばしていて、思わず「ああ、いいなあ」と見とれてしまうほどだ。

「いい感じ」は、青と4人の女性だけにとどまらない。好きな子に告白しようとして2番目に好きな子と一緒に古着屋に服を買いにきた男も、魚喃キリコの漫画に出てくるスポットを探している子に街を案内してあげるカフェの店員も、自分のせいで常連客の俳優が役を失ってしまったとバーに謝りにきた元相撲取りも、みんなこの映画の、もっと言えばこの下北沢という街の空気感を漂わせて、やっぱり何か「いい感じ」なのだ。そんな心地よい和みの雰囲気が各シーン、各ショットから放たれていて、だからどっぷりとはまってしまうのかもしれないね。

 この作品は2019年に撮影が行われ、その年の10月に下北沢映画祭で初披露。翌2020年5月に劇場公開の予定だったが、コロナ禍のためにおよそ1年間、延期を余儀なくされた。下北沢駅前は再開発事業の真っただ中で、ここに映っている風景の中には、もしかしたらもう存在しないものもあって、ますます貴重な映像と言えるかもしれない。それともう一つ、「朝ドラ俳優」という役どころを成田凌が演じているのだが、公開が1年延びたことで、放送中の「おちょやん」に出演している成田は現実でもリアルタイムの「朝ドラ俳優」になった。「おちょやん」には青役の若葉竜也も出ているけど、見比べてみることで、その芸達者ぶりに改めて感心させられるのではないだろうか。(藤井克郎)

 2021年4月9日(金)から、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷など全国で順次公開。

©「街の上で」フィルムパートナーズ

今泉力哉監督作「街の上で」から。下北沢の古着屋で働く青(若葉竜也)をめぐるさまざまな「いい感じ」が描かれる ©「街の上で」フィルムパートナーズ

今泉力哉監督作「街の上で」から。映画には下北沢のそこかしこが登場する ©「街の上で」フィルムパートナーズ