「顔を捨てた男」アーロン・シンバーグ監督
マスコミ試写会に行くと、たいていの場合、受付で映画のプレス資料を渡される。もちろん原稿を書く上では貴重な情報なのだが、上映前に目を通すことはまずない。ネタバレの記述が載っていることもあるし、何よりも予断を持たずに見たいという思いが強い。
この「顔を捨てた男」も何ら事前情報を得ずに試写会に臨んだのだが、一体どこに連れていこうとしているのか全く予想のつかない展開に、わくわくを通り越してどきどきぞわぞわしたというのが正直なところだ。主人公が見世物のように扱われるというのは、デヴィッド・リンチ監督の「エレファント・マン」(1980年)を想起するモチーフだが、こちらの男はいかにも俗物で野心家だし、途中からとんでもない方向に突っ走る。帰宅後、プレス資料を開いてみたら、「予測不能な展開」(Daily Telegraph)、「価値観を覆す傑作」(IndieWire)、「デヴィッド・リンチを彷彿とさせる」(Awards Radar)といった海外メディアのレビューが載っていて、なるほどね、と納得した次第だ。
ニューヨークのアパートに一人で暮らすエドワード(セバスチャン・スタン)は俳優を志す青年だが、その顔のためにごく限られた役しか回ってこなかった。ある日、隣の部屋に劇作家を目指すイングリッド(レナーテ・レインスヴェ)という女性が引っ越してくる。最初はエドワードの顔を見て、ぎょっとした表情をのぞかせたイングリッドだが、その生き方に興味を抱き、彼をモデルにした戯曲への創作意欲を燃やす。一方、イングリッドの気を引きたいエドワードは、過激な治療を受けて今までの顔を捨て去ろうとする。
皮肉なのは、念願の新しい顔を手に入れたものの、イングリッドの戯曲はエドワードが捨てた顔に触発されたもので、役を手に入れるには以前の顔に戻らなくてはならないという点だ。それでも何とかして主役の座をつかむが、舞台稽古が始まると予期せぬライバルが現れる。オズワルド(アダム・ピアソン)と名乗るその男は、かつてのエドワードによく似た顔を持ち、演劇のことについてもやたら詳しい。嫉妬の炎を燃やすエドワードはやがて……、というところからまたさらにジェットコースターのギアが一段と上がっていく。
これが長編3作目となるアーロン・シンバーグ監督は、ルッキズム(外見至上主義)に象徴される差別、偏見といった多分に社会性を帯びたテーマを内包させながら、サスペンスにブラックユーモアの要素も盛り込み、第一級の娯楽作品に昇華している。エドワードの顔に対する周囲の視線も、初めて会ったときにイングリッドが見せるかすかな表情の変化以外はほとんど強調することなく、特にオズワルドの登場以降はごくありきたりの風景として溶け込ませている。それでも作品の端々から漂ってくるのは、誰しも深層心理から拭い去ることのできない差別や偏見に対する引っかかりであり、これを笑いがちりばめられた中にちらりちらちと顔をのぞかせてくるからハッとさせられる。
しかも、そのハッとした気づきを映画ならではの創意工夫で表現しているというのが実に巧みだ。ときどき不必要にカメラがズームアップしたり、まるでこけおどしのような大音響がとどろいたりと、エドワードならぬ、見ているこちら側のストレス、ジレンマを表現しているかのようだ。アパートの部屋の天井から漏れ出してくる水がそのうちに大量に流れ落ちてきて、ネズミなのか何なのか得体のしれないものまで降ってくるなんて描写は、誰もが抱える心の闇、コンプレックスを象徴していて、まさにこの映画の神髄なのかもという気がする。
もう一つ特筆すべきは、エドワードのライバルとなるオズワルドを演じたアダム・ピアソンが、特殊メイクではなく素顔で出演しているということだ。イギリス生まれのピアソンは、俳優業のかたわら障害者の権利向上に取り組む活動家としても知られるそうで、この作品でも機転の利く演劇人の役を何のてらいもなくごく自然に演じていて、ゴッサム・フィルム・アワードや全米映画批評家協会賞などで助演男優賞にノミネートされている。エドワード役のセバスチャン・スタンはベルリン国際映画祭で銀熊賞の最優秀主演俳優賞に輝いていて、2人の演技合戦にも注目だ。(藤井克郎)
2025年7月11日(金)、東京・ヒューマントラストシネマ有楽町など全国で公開。
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アーロン・シンバーグ監督のアメリカ映画「顔を捨てた男」から。エドワード(セバスチャン・スタン)は念願の新しい顔を手に入れるが…… © 2023 FACES OFF RIGHTS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

アーロン・シンバーグ監督のアメリカ映画「顔を捨てた男」から。エドワード(左、セバスチャン・スタン)の前にオズワルド(アダム・ピアソン)が現れて…… © 2023 FACES OFF RIGHTS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.