「ストロベリームーン 余命半年の恋」酒井麻衣監督
原作が10代の間で「令和イチ泣ける」と反響を巻き起こした小説で、しかも副題に「余命半年の恋」なんてついているくらいだから、まあ本当なら60歳を過ぎたおっさんが楽しむような映画じゃないのかもしれない。でもNHK朝ドラの「ちゅらさん」(2001年)や「ひよっこ」(2017年)など安定感抜群の脚本家、岡田惠和と、ミュージカル仕立ての超斬新なファンタジー映画「はらはらなのか。」(2017年)が商業映画デビュー作だった酒井麻衣監督が初タッグを組んだとなれば、これは何が何でも見なくっちゃね。
タイトルにあるストロベリームーンとはアメリカ先住民による満月の別名の一つで、6月の満月のことを指す。北米ではこの季節にイチゴの収穫が行われることにちなんでいて、この満月を好きな人と一緒に見ると永遠に結ばれるという伝説があるらしい。芥川なおの原作小説「ストロベリームーン」は未読だが、どうやらこの伝説が物語の大前提になっているようだ。
病弱で学校に通うことができず、一人も友達がいない桜井萌(當真あみ)は、自分の誕生日の6月4日に好きな人とストロベリームーンを見ることをひそかに夢見ていた。16歳の誕生日はちょうど満月に当たるが、15歳の冬に萌は医者から余命半年と告げられる。病院からの帰り道、車窓から人助けをしている少年を見て、運命の相手と確信した萌は、高校に進学することを決意。そして入学式の日、ほかに誰もいない教室で、当の佐藤日向(齋藤潤)と運命の出会いを果たす。
などというストーリーだけを追うと、何だか都合のいいベタなガールミーツボーイもののように思えるが、これがなかなかどうして。映像も作劇も一ひねりどころか二ひねり、三ひねりと創意工夫が満載で、しかも恐らく原作小説にもあるのだろうが、じんわりと胸に響く極上の種明かしが用意されている。いや、柄にもなくちょっと涙が込み上げた。
何と言っても作劇上の構成が巧み極まりない。冒頭はあれから13年後の現在の時制で、大人になった佐藤日向(杉野遥亮)と幼なじみの高遠麗(中条あゆみ)の日常が描かれる。この2人が萌を思い出すという体裁で13年前に飛ぶのだが、病弱な萌の状態、彼女を温かく見守る両親、彼らが住んでいる町の風景、萌が高校を受験することになるいきさつ、などなど物語の前提が、ほんの数分間で鮮やかに、でも非常に分かりやすく描写される。決して説明過多ではない要所要所を押さえた簡潔なせりふのやりとりに加え、ドローンによる空撮などを駆使したテンポ感のある映像表現が次々と繰り出され、脚本と演出が見事に溶け合っている。
それ以降の物語の転がし方も無理がなく、まるで魔法を見せられているようだ。余命半年の少女が運命の人と出会い、そこから一緒にストロベリームーンを見るまでの展開は、どう考えてもリアリティーなどないに等しいが、酒井監督は思いっ切りファンタジー色を盛り込んで、見る者に何ら違和感も抱かせない。学校に行けない萌の自室は空想の世界に浸り切っている女の子らしい彩りに満ちているし、初の相合傘デートのときの雨の降らし方、ストロベリームーンの夜の湖の美しさ、病院の窓の外に一晩で咲き乱れるひまわりの花々を配した仕掛けと、映画だからこその現実離れした愛おしさに満ちていて、どっぷりと虚構の世界に浸り切ることができる。
しかもこの手のガールミーツボーイ映画は、得てして恋する2人だけの世界に没入してしまい、社会性のかけらも出てこない展開に陥りがちだが、この作品は違う。中学まで学校に行っていなかった萌は、ストロベリームーンの夢と同時に親友を持ちたいという願いもあり、弁当屋の娘の高遠麗(池端杏慈)との出会いと友情もしっかりと描かれるし、日向の悪友のフーヤン(黒崎煌代)、カワケン(吉澤要人)も単なる背景にはなっていない。
さらに不治の病に侵された娘に寄り添う母(田中麗奈)と父(ユースケ・サンタマリア)の葛藤にもきちんと焦点を当てる。萌にどれだけの愛情を注いで育てたのか、余命半年と告げられた娘とどう向き合うべきなのか、といった普遍的な家族の覚悟も余すところなく取り込んでいて、大人の鑑賞をないがしろにはしない。NHKのドラマ「ケの日のケケケ」(2024年)の主演など目下売り出し中の當真あみをはじめとした若いキャストも、芸達者の俳優陣とともに、この非現実的な世界観の中でちゃんと血の通った存在として生きている。だからこそラストではあんなにも感動の渦に包まれるのだろう。
脚本の岡田は当方とほぼ同世代で、1991年に氏が手がけたテレビ東京系のスペシャルドラマ「ラスト・ラン 愛と裏切りの百億円」の静岡県御殿場市でのロケ現場でお目にかかったことがある。当時はまだ脚本家デビューしたばかりの新人だったが、その後、フジテレビ系「若者のすべて」(1994年)やテレビ朝日系「イグアナの娘」(1996年)などでまたたく間に人気シナリオライターの仲間入りを果たし、今や「岡田ドラマに外れなし」とさえ言われるほどだ。
一方の酒井監督にも2017年、商業デビュー作の「はらはらなのか。」のときにインタビュー取材をしているが、当時からファンタジー性への強い志向があり、「Jホラーが確立されたように、もっと日本にファンタジー映画が浸透してほしい。私が『ハリー・ポッター』シリーズを見て人生に彩りをもらったように、もしかして魔法って世の中にあるかもしれないという希望が持てたら楽しいんじゃないかなと思うんです」などと話してくれた。
まだ30代前半の酒井監督は脚本の岡田とは親子ほどの年の差があるが、この絶妙なコンビネーションをもっと見てみたいと思っていたら、この10月にスタートしたフジテレビ系のドラマ「小さい頃は、神様がいて」で早くも再タッグが実現している。第1回放送を見たが、北村有起哉と仲間由紀恵の大人の夫婦を軸にしたさまざまな家族の在り方を、大胆なカット割りを駆使した彩り豊かな映像でつづっていて、大いに楽しめた。さあいよいよ本格的なJファンタジー時代の到来か。(藤井克郎)
2025年10月17日(金)、全国公開。
©2025「ストロベリームーン」製作委員会

酒井麻衣監督「ストロベリームーン 余命半年の恋」から。難病を抱える萌(左、當真あみ)と運命の相手、日向(齋藤潤)のいとおしくも切ない恋模様が描かれる ©2025「ストロベリームーン」製作委員会

酒井麻衣監督「ストロベリームーン 余命半年の恋」から。難病を抱える萌(左、當真あみ)と運命の相手、日向(齋藤潤)のいとおしくも切ない恋模様が描かれる ©2025「ストロベリームーン」製作委員会