「のぼる小寺さん」古厩智之監督

 今でこそ若い映画監督が世に出る機会はふんだんにあるが、かつては新人の登竜門と言えば、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)があるくらいだった。ここから森田芳光、石井岳龍、犬童一心、園子温、橋口亮輔、塚本晋也、矢口史靖、中村義洋、熊切和嘉、李相日、荻上直子、石井裕也といったその後の日本映画界を背負って立つ人材が次々と巣立っていったのは、ご存じの通り。

 そんな一人に古厩智之監督がいる。日本大学芸術学部在学中に撮った「灼熱のドッジボール」がPFFアワードのグランプリに輝いたのが1992年。ちょうどこちらも映画記者になりたてのころで、日本映画監督協会新人賞を史上最年少の26歳で受賞した「この窓は君のもの」(1995年)の公開時に、インタビューをする機会に恵まれた。自分よりも年下の監督相手の取材は珍しく、無限の可能性を秘めた若き俊英を前に、大いに張り切って臨んだものだった。

 その後、「ロボコン」(2003年)、「武士道シックスティーン」(2010年)といった作品で、いつしか「青春映画の名匠」と呼ばれるようになる。やはり若者が主人公の成長物語「『また、必ず会おう』と誰もが言った。」(2013年)の取材で久しぶりに再会したが、「おじさんには自我がぴっちり貼りついているけど、若い人はまだぐにゃぐにゃしていて、それが人間の本質なんだろうと思う。だから若い人を撮りたいんですかね」と、青春ものに入れ込む理由を話してくれた。

 今度の新作「のぼる小寺さん」も、まさに青春ど真ん中といった作品だ。小寺さん(工藤遥)は、スポーツクライミングに夢中の高校1年生。進路調査票にも「クライマー」と書き込むなど天然の一途さがあり、クラスメートからは「不思議ちゃん」などと呼ばれたりしている。同じクラスの近藤(伊藤健太郎)は、なぜかこの小寺さんのことが気になって仕方がないが、同じように小寺さんを見つめている同級生がほかにもいた。

 珈琲なるペンネームの漫画家による同名漫画が原作だが、映画では小寺さんから影響を受けた近藤ら4人がどう変わっていくかという点に主眼が置かれている。例えば近藤は全く主体性がなく、両親から運動部にでも入った方がいいと言われて卓球部に入部したものの、まるでやる気がない。1年生部員同士で無駄話をしてばかりいるが、スポーツクライミングだけでなく、何に対しても一生懸命な小寺さんを見ているうちに、次第に卓球に打ち込むようになる。

 ほかの3人も、小寺さんによってちょっとだけ成長を見せるのだが、小寺さんは決して彼らを励ましたり、導いたりするわけではなく、ただ黙々と自分の好きなことに取り組んでいるだけというのが面白い。影響を受ける4人も、根っからの悪ではなく、かと言って何も考えずにぼーっと生きているわけでもなく、ただ何がやりたいのか、どうすればいいのかがわからないだけの若者だ。クラスメートのほとんどは、先生から進路調査票を書いてくるようにいわれると、何の疑問も持たずに記入してくるのに対し、小寺さんを含む5人は、そう簡単に答えを出すことができない。そんな悶々とした思いを、だが小寺さんは何ともあっけらかんと乗り越えているように見える。いったい彼女はなぜ、あんなにも一生懸命になれるのか。

 こんないかにも青春っぽい深遠なテーマが、この映画ではとてもみずみずしく軽快に描かれる。小寺さんも近藤も、ほかの3人も、そんなに多くを語ることはない。それぞれどんな悩みを抱えているのか、こちらにははっきりとはわからない。めちゃくちゃ苦悩しているわけでもないし、変わらなくても別に困りはしないだろう。でも小寺さんと出会ったことで何かが変わったことは確かであり、変わらないよりは変わった方がいいことが起こりそう、というのが若い人へのメッセージなのかもしれない。

 50歳を超えた古厩監督が、こんなにも繊細な青春像を、こんなにも生き生きと撮りあげたことに驚く。音楽の使い方も彼らの不安定な立ち位置を巧みに表現しており、青春映画の名匠と言われるゆえんを改めて思い知った。

 それにしても主役の小寺さんを演じた工藤遥には、驚異的という言葉しか思い浮かばない。3か月の特訓を受けたというクライミングは本物だし、何も考えていなさそうに見えて、他人への気配り、心の温かさ、芯の強さを備えているというのが表情や動作からにじみ出ている。モーニング娘。の史上最年少メンバーだったという元アイドルで、テレビの戦隊もの「怪盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」のルパンイエローだったそうだが、この初主演映画で見事に才能が開花したようだ。

 2020年7月3日、新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ渋谷など全国で公開。

©2020「のぼる小寺さん」製作委員会 ©珈琲/講談

古厩智之監督作「のぼる小寺さん」から。小寺さん(左、工藤遥)に興味を募らせる近藤(伊藤健太郎)は…… ©2020「のぼる小寺さん」製作委員会 ©珈琲/講談社

古厩智之監督作「のぼる小寺さん」から、クライミングに青春を懸ける小寺さん(工藤遥) ©2020「のぼる小寺さん」製作委員会 ©珈琲/講談社