「Cloud クラウド」黒沢清監督
黒沢清監督とは不思議と縁がある。愛読誌だった「シティロード」で映画評を連載していた洞口依子のファンで、彼女が主演する「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(1985年)を遠くの名画座まで見にいったのが初黒沢体験だったが、1996年に「勝手にしやがれ‼」シリーズの第5作「成金計画」(1996年)、第6作「英雄計画」(1996年)で初めてインタビューして以来、何度もお会いする機会に恵まれた。特に2003年6月、大型連載「競う ライバル物語」の一環として立教ヌーベルバーグの切磋琢磨を取り上げた記事で取材したときは、「アカルイミライ」(2002年)でカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に初参加した直後でもあり、2時間半にわたって創作の原点から今後の目標など深く広く語ってもらった。
撮影現場の取材は、2015年8月に東京郊外の住宅街で行われた「クリーピー 偽りの隣人」(2016年)で経験しているが、昨2023年、「Cloud クラウド」で2度目のロケ訪問が実現した。11月末で寒い中、早朝から電車を乗り継いで千葉県内のとある店舗に駆けつけたが、実は今回は取材というより、エキストラとしてちらっと出演も果たしている。ベネチア国際映画祭にも選出された世界の黒沢清作品で、あの菅田将暉と共演するなんて一生の宝だ。
とまあ無駄話はさておき、「Cloud クラウド」はさすがは黒沢監督ならではのケレン味たっぷりというか、何だかよくわからないんだけど、でもめちゃくちゃ面白いという衝撃の作品に仕上がっていた。
クリーニング工場に勤める真面目そうな若者の吉井(菅田将暉)は、裏では商品を安く購入してはインターネットを利用して高値で売りつける転売屋として日銭を稼いでいた。転売の仕事を教えてくれた先輩の村岡(窪田正孝)からの儲け話にも耳を貸さず、あくどいやり方で売上を伸ばしていった吉井は、社長(荒川良々)からの昇進の打診を固辞して工場を退職。郊外の湖畔に事務所兼自宅を構え、恋人の秋子(古川琴音)との新生活をスタートさせるが……。
この「……」の後が、それまでのネット社会の闇をモチーフに時代性を帯びた硬派な展開からがらっと一変。あらら、あらら、と呆然としている間に、怒涛の映像世界が繰り広げられる。要素としては、ミステリーあり、ホラーあり、サスペンスあり、さらにはド派手なアクションも満載で、あらゆる映画ジャンルの面白みを、主演の菅田をはじめとした出演者全員が、それこそ心から面白がって表現している。つじつま合わせとか、伏線回収とか、そんなのどうでもいい。とにかく面白い素材を詰め込めるだけ詰め込むんだといった作り手の気概が潔い。
登場人物も人格が違ったように途中で豹変するが、それとてもともと猫をかぶっていた本性が現れたのか、あるいは情報に支配された現代社会のひずみなのか。みんなことごとく愛憎のバランスがおかしくて、でも人間は誰しもちょっとしたきっかけでバランスを崩すことはあるよなあ、と思ったりもする。黒沢監督は、そんな人間心理の不確かさを、理屈では説明できないバイオレンスという形で提示したかったのかもしれない。何しろ晴れている屋外の場面なのに画面はなぜか薄暗く、人物の表情は常に影に覆われている。だから恐怖や戸惑い、嘲笑といった感情がちっとも読み取れず、人間の不気味さがより強調されるのだ。
主人公の吉井も同様で、まるで肩入れできない人物像なのに、なぜか被害者の立ち位置にいる。そんな多面性というよりも無面性をまとった存在を、菅田は決して誇張することなく完璧になり切って演じていて、やっぱりすごい役者なんだなと改めて感じ入った。一方で共演者の面々は逆にあえて誇張して表現することで、主人公とのギャップが浮き彫りになり、面白さも倍増する。ってな深読みをする暇もないほど、映画そのものはただただ突っ走っていて、いやあホント、黒沢監督の創造性にはあっけに取られるばかりだ。
1996年の初めての取材のとき、当時41歳の黒沢監督は、世界最高峰の現役監督として4人の名前を挙げた。クリント・イーストウッド、ジャン=リュック・ゴダール、テオ・アンゲロプロス、そしてアッバス・キアロスタミで、「物語の虚構性と生々しい即興的ドキュメンタリズムを同時にやるということでは、4人の影響を受けていると思う。とても勝てない人たちだが、彼らがやっていることにあやかりたいということは考えています」と謙虚に語っていた。
あのときから28年。イーストウッド監督以外はすでに鬼籍に入ってしまったが、勝ったとは言わないまでも、もう十分に肩を並べるまでには来ているのではないか。「ドン・キホーテかもしれないが、今、映画を撮るというのはどういうことか、今、世界の映画がどうなっているか、を常に考えながら撮っています」と話していた黒沢監督の映画への向き合い方は、今も全くぶれてはいない。(藤井克郎)
2024年9月27日(金)、東京・TOHOシネマズ日比谷など全国で公開。
©2024「Cloud」製作委員会
黒沢清監督「Cloud クラウド」から。ネットを利用した転売で日銭を稼いでいた吉井(菅田将暉)は…… ©2024「Cloud」製作委員会
黒沢清監督「Cloud クラウド」から。吉井(中央、菅田将暉)は恋人の秋子(古川琴音)と新生活を始めるが…… ©2024「Cloud」製作委員会