「書かれた顔 4Kレストア版」ダニエル・シュミット監督
常々、後世に残すべき美しい風景なり素晴らしい芸術なりは、単なる記録としてではなく、感性の豊かなクリエイターが手がける創作映像の中でこそ輝き続けると思っている。大自然の絶景にしろ、国宝級の文化財にしろ、カタログのように何の視点も創意もなく、ただカメラで撮ったというだけでは感動を呼ぶことはない。その絶景や文化財が、新たに映像作家の表現の一部として捉えられることで、本来の価値以上のものが引き出されると感じている。
もしかしてこの信念は、1996年にダニエル・シュミット監督の「書かれた顔」(1995年)を見たときに植えつけられたものかもしれないな、と今回27年ぶりに4Kレストア版としてこの作品に再会して気がついた。それくらいここには、日本の至宝とも言える人、もの、場所が、スイス生まれの世界でも屈指の美的感覚の持ち主によって、永遠に色あせることのない存在としてフィルムに刻み込まれている。
作品は、シュミット監督が造詣の深い日本文化に対する敬意、思慕を目いっぱいに盛り込んだ独創的な映画で、歌舞伎の坂東玉三郎を中心にドキュメンタリーとフィクションの世界が心地よく入り交じっている。玉三郎に関しては、白塗りの化粧を施す舞台裏の表情に始まり、ホテルの部屋でのロングインタビュー、「大蛇(おろち)」「積恋雪関扉(つもるこい ゆきのせきのと)」「鷺娘(さぎむすめ)」といった舞踊演目の舞台、さらに玉三郎が芸者を演じるシュミット監督オリジナルの幻想譚と、その魅力が存分に詰まっている。加えて俳優の杉村春子、日本舞踊の武原はん、舞踏家の大野一雄といった、当時90歳前後だった名人の至芸やインタビューも収録。柳橋芸者の蔦清小松朝じなどは当時101歳で味のある三味線を披露しており、この映画自体、貴重な文化財産にもなっている。
奇跡的だなと思うのは、もちろん玉三郎は現在も現役で変わらぬ妖艶さを表現しているものの、この作品の撮影当時は40代前半と、身体能力と円熟味が絶妙のバランスで備わっていた時期で、まさに心技体が三位一体となって頂点を極めているように見える。女形の神髄について語るインタビューの言葉は奥深いし、一方でシュミット監督の創作劇の中で宍戸開や永澤俊矢相手に演じる芸者役はアップを多用していても全く違和感なく美しい。玉三郎が演目を踊る舞台も、熊本県の八千代座に愛媛県の内子座と今に残る貴重な地方の芝居小屋で、今後、この建物がどういう運命をたどろうとも、玉三郎とともにこの映画に写し込まれた姿は決して消えることはない。
しかも今回、4Kレストア版として、極めて画質のよい鮮明な映像で再現された。修復技術のことについてはとんと不勉強だが、レストアとは一コマ一コマ、画像についたごみや傷などを取り除いて、色調を整えていく作業のことのようだ。それを4Kと言われるかなりの高解像度で行うことで、最高品質に復元できる。
本来なら監督の意図に沿って修復がなされるのだろうけれど、残念ながらシュミット監督は2006年に64歳でこの世を去っている。きっとこの4Kレストア版を目にしたら、人なつっこい笑みを満面に浮かべて無邪気に喜んだに違いない。
実は当方、この「書かれた顔」が日本で公開された1996年、シュミット監督の来日記者会見に出席している。席上、監督は「これは日本に対する愛の告白の映画です」と語っていたが、それ以前の1993年4月に「季節のはざまで」(1992年)で来日したときは単独インタビューの機会に恵まれ、とてもフレンドリーな素顔に接することができた。
「季節のはざまで」は監督自身の記憶に寄り添った幻想的な作品で、過去への思いについて尋ねたところ、「人間は誰もがみんな歩く回想だ」と答えてくれたことが印象深い。取材メモを見返すと、「過去の積み重ねを知らなければ、われわれは迷子になってしまう。過去を未来へ語り継ぎたいと思って映画を作っている」と話している。取材の最後には、アルプス山中にたたずむ祖父母と暮らした思い出のホテルの絵はがきを見せて「ぜひ遊びにきて」と言ってくれたが、残念ながらいまだその約束は果たせていない。
シュミット作品には、「カンヌ映画通り」(1981年)や「トスカの接吻」(1984年)など、「書かれた顔」同様に虚実皮膜の間を漂うような珠玉の映画がたくさんある。ぜひこれらも4Kレストア版にして、未来へつないでもらいたいものだ。(藤井克郎)
2023年3月11日(土)から、東京・ユーロスペースなど全国で順次公開。
©1995 T&C FILM AG / EURO SPACE
日本、スイス合作のダニエル・シュミット監督作品「書かれた顔」から。40代と脂の乗り切っている坂東玉三郎が4Kレストア版で鮮やかによみがえる ©1995 T&C FILM AG / EURO SPACE
日本、スイス合作のダニエル・シュミット監督作品「書かれた顔」から。当時101歳だった現役芸者、蔦清小松朝じの矍鑠とした姿も収められている ©1995 T&C FILM AG / EURO SPACE