「バビロン」デイミアン・チャゼル監督

 ときどき、生涯のベストワン映画は何、と聞かれることがある。大概はジャック・リヴェット監督の「セリーヌとジュリーは舟でゆく」(1974年)と答えるようにしているが、何せマニアックな作品なので見ていない人も多い。

 だから総合芸術たる映画の最高峰として、ミュージカルの「雨に唄えば」(1952年、ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督)を挙げる場合がある。とにかく映像も音楽も文句なしに見事だし、ファンタジーあふれる美術セットに主役のジーン・ケリーによる超絶技巧のダンスシーンと、映画のあらゆる要素が極上の完成度で構成されている。今後、テクノロジーの進歩でさらなる驚きがもたらされることはあるかもしれないが、生身の人間による表現力の結集としてはこれ以上のものは出てこないんじゃないかな。

「セッション」(2014年)や「ラ・ラ・ランド」(2016年)で大注目を浴びた若き俊英、デイミアン・チャゼル監督も、きっと同じように感じていたに違いないということがわかって、ちょっぴりうれしくなった。

 新作の「バビロン」は、映画なるものへのオマージュがぎゅっと詰め込まれた極めつきの映画賛歌になっている。舞台は1920年代のハリウッド。それまでのサイレントから音声を伴うトーキーへと移っていく映画の大転換期、といったら、まさに「雨に唄えば」の世界だ。

 大物プロデューサーの豪邸で、今しも映画業界のド派手なパーティーが始まろうとしていた。宴の主役は銀幕の大スター、ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)。本物のゾウまで用意されたこの贅を尽くしたパーティーには、駆け出し女優のネリー(マーゴット・ロビー)や、映画製作を志す青年、マニー(ディエゴ・カルバ)も潜り込んでいて、自己アピールの場を虎視眈々と狙っていた。ここで運命的な出会いを果たした2人は、やがてハリウッドの荒波にもまれていく。

 といったストーリー以上に、とにかく3時間9分の上映時間中、映画そのものとしか言いようがない夢の世界がスクリーン狭しと弾けまくっていて、ああ、だから映画ってすてきなんだということを再認識させてくれる。サイレント映画のスターだったジャックはトーキーへの移行で威勢に陰りが見え、逆に撮影スタジオでは音声スタッフが幅を利かすようになる。そんな中、新しい時代に順応していったネリーとマニーは徐々に頭角を現していくのだが、その過程で一癖も二癖もある連中に翻弄される羽目になる。

 その描写がまた何とも映画的で、例えばトビー・マグワイア扮する怪しげな親分が案内する地下牢のおぞましさといったら。映画は見せ物だ、というチャゼル監督の心の叫びが聞こえてきそうだし、一方でジョヴァン・アデポが演じるジャズトランぺッターのエピソードには、映画は音楽なしではありえないという主張がにじみ出ている。ジャックが語る「映画は大衆を相手にしている」というせりふは、監督の思いの丈のすべてを言い表していると言っていいだろう。

 映画史をたどるかのように、マイブリッジの「動く馬」から始まって、リュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅への列車の到着」、メリエスの「月世界旅行」と、伝説の作品の断片を走馬灯のようにつないで見せるのも、まさに映画愛のほとばしりを感じる。そして、そう、もちろんあのミュージカル作品も忘れてはいない。これがまた乙な演出で、実にほろりとさせられるんだよね。

 チャゼル監督は2017年1月、「ラ・ラ・ランド」のときに初来日し、主演のライアン・ゴズリングと記者会見を開いた。当方もザ・リッツ・カールトン東京までのこのこ出かけていったが、取材メモを読み返すと、「ラ・ラ・ランド」の音楽は「オズの魔法使」(1939年、ヴィクター・フレミング監督)や「雨に唄えば」と同じレコーディングスタジオで録音したことを打ち明けている。「素晴らしいギフトだった」と感慨深げに話していたんだけど、今回、感謝の思いをこういう形でお返ししたんだね。(藤井克郎)

 2023年2月10日(金)、全国公開。

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デイミアン・チャゼル監督「バビロン」から。映画製作を志すマニー(右、ディエゴ・カルバ)は、サイレント映画のスター、ジャック(ブラッド・ピット)に認められるが…… © 2023 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

デイミアン・チャゼル監督「バビロン」から。大物プロデューサーの豪邸でのパーティーは、桁違いのド派手さだった © 2023 Paramount Pictures. All Rights Reserved.