「アフター・ヤン」コゴナダ監督

 韓国生まれのアメリカ在住、コゴナダ監督には、今度もまたはっとさせられた。長編第1作の「コロンバス」(2017年)で、主人公たちの心の葛藤をモダニズム建築群の風景と奥深い芸術談義でつづるという極めて独創的な映画表現を開拓していたが、2作目となる「アフター・ヤン」では、近未来が舞台のSF世界を、東洋の精神文化を盛り込みつつ、またもやしっとりと穏やかな語り口で描き上げた。この題材でここまで静謐な映画にするなんて、もうこの監督のさがとしか言いようがない。

 さまざまな種類の茶葉を商売にしているジェイク(コリン・ファレル)には、妻のカイラ(ジョディ・ターナー=スミス)と中国系の養女、ミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)、それにヤン(ジャスティン・H・ミン)の家族がいた。4人でダンスコンテストに挑むなど仲のよい家族だったが、ある日突然、ヤンが動かなくなってしまう。まだ幼いミカにアジアの文化を教えてくれていたヤンは、見かけは思慮深い東洋人ながら、実は「テクノ」と呼ばれるロボットだった。

 製造元からは、ヤンは中古品で買い替えるしかないと言われるが、諦めきれないジェイクは何とか修理できないかと怪しげな修理屋に依頼する。やがてヤンの体内には特殊なパーツが埋め込まれていることがわかり、そこにはヤンがこれまでに見てきたさまざまな風景が記憶されていた。さらにその記憶の映像に刻まれていた見知らぬ金髪の女性(ヘイリー・ルー・リチャードソン)がジェイクの前に現れる。

 というストーリーを聞くと、まるで手に汗握るサスペンススリラーの様相だが、この映画は想像のはるか斜め上を行く。時代背景はヤンたち「テクノ」やクローンらが人間と融和して生きている世界で、ヤンのメモリーに収められている映像も確かにVR(バーチャルリアリティー)っぽい創意工夫が施されてはいる。それもカメラ位置をずらして撮られた複数の映像をダブらせて再生させるといった近未来を実感させる描写も多いのだが、それでもなぜか心が落ち着くから不思議だ。

 それは恐らくコゴナダ監督が韓国の出自で、この映画にも東洋の文化、思想が色濃く反映されていることと無縁ではないだろう。原作はアメリカの作家、アレクサンダー・ワインスタインが2016年に発表したSF短編小説集の1編だそうで、どこまで原作に忠実なのかは定かではないが、映画にはそこかしこにアジアの香りがちりばめられている。例えば老子の言葉としてせりふに出てくる「終わりが始まり」という死生観は東洋ならではの思想だろうし、中古のヤンのかつての「生」をたどる探索は輪廻転生にも通じる。

 この神秘の物語を彩るテーマ曲は坂本龍一の作曲で、全体の音楽を担当するのは日本生まれでロサンゼルスを拠点に活動するAska Matsumiya。さらに劇中曲として、岩井俊二監督の「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)に登場する名曲「グライド」が、日系アメリカ人の歌手、Mitskiの歌で流れる。そもそもコゴナダという監督名は、小津安二郎監督作品の脚本で知られる野田高梧から取っていて、小津映画をはじめ日本文化への造詣は極めて深い。

 一方で、妻のカイラを演じたターナー=スミスがジャマイカ系の黒人俳優だったりするなど、決してアジアに拘泥しているわけではない。むしろ映画の中では人間も「テクノ」もクローンも何ら区別なく共存していて、人種や民族の違いでいがみ合っている現代社会への痛烈な皮肉も込められているように感じる。

 実際、アメリカで暮らしていれば、韓国人も中国人も日本人も同じアジア人で変わりがない。先人から受け継いだ知恵である固有の文化は尊重しつつ、でももっと心静かに隣人と融和して生きてみてはどうだろう。ミステリー仕立ての娯楽性の中から、そんな監督の思いが匂い立ってくるような気がした。(藤井克郎)

 2022年10月21日(金)から、TOHOシネマズ シャンテなど全国で公開。

©2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.

コゴナダ監督のアメリカ映画「アフター・ヤン」から。ジェイク(左端、コリン・ファレル)たち4人は仲のよい家族だったが…… ©2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.

コゴナダ監督のアメリカ映画「アフター・ヤン」から。動かなくなったヤン(ジャスティン・H・ミン)のメモリーには、謎の女性(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の姿が刻まれていた ©2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.