「ブータン 山の教室」パオ・チョニン・ドルジ監督

 コロナ禍でおいそれとは海外旅行に行けなくなってしまったが、それでなくてもブータンという国はなかなか行く機会がないのではないか。映画は、そんななじみの薄い国にも自由に連れていって、めったに味わえない風景や習俗を見せてくれる。その上、感動的な物語まで堪能させてくれるとなると、何はともあれ映画館に足を運ばなくちゃね。

「ブータン 山の教室」は、1983年生まれのブータン人、パオ・チョニン・ドルジ監督の初の長編映画だ。ブータン映画に接するのは初めてだし、ブータンの風景自体、テレビニュースで見たことはあったかもしれないが、こんなにまじまじと見つめたことは今までなかった。で、心から思った。よくぞ、この映画を撮ってくれた。この映画と出合えて、本当によかった、と。

 ブータンといえば、国民総幸福を国是に掲げる国だが、首都のティンプーに住む若い教師、ウゲン(シェラップ・ドルジ)は幸福を感じられずにいた。夢はオーストラリアで歌手になることで、といって何か努力をするわけでもなく、怠惰な毎日を過ごしていた。

 そんなある日、ウゲンに転勤話が持ち上がる。行き先は標高4800㍍の高地に位置する人口わずか56人のルナナ。電気も通っていないこの村へは、歩いて1週間かけないとたどり着かない。まるで気の乗らないウゲンだったが、すぐに帰ってくればいいと、とにかく行くだけは行ってみることにした。

 麓まで迎えにきた村人の先導で、険しい山道を歩くこと1週間。ようやく到着したルナナは、夏でも雪を抱いたヒマラヤの山々を見晴るかす絶景が広がっていて、スクリーンで見る分にはまるで桃源郷のような美しさだ。だがウゲンは案の定、歓迎する村長に「もう帰りたい」と泣きを入れる。

 と、翌日、朝寝坊をしたウゲンを、学級委員を務める女の子、ペム・ザムが起こしにくる。そのキラキラと輝く瞳。うれしくてたまらないという表情。この一瞬を目にするだけで、映画を見たかいがあったと言っても過言ではないだろう。まさに文明や情報に毒されていない純粋な子どもの笑顔そのもので、奇跡の瞬間をカメラに収めたことに感謝せずにはいられない。

 この少女をはじめ、村人たちはほとんどが実際にルナナに暮らす住民で、演技なのか素なのか、何とも味わい深いたたずまいを見せてくれるんだよね。長老たちの神秘的な儀式に鮮やかな民族衣装、素朴な料理と、ここにしかない暮らしぶりに加え、広大な草原では家畜のヤクが悠然と草をはみ、伝統の「ヤクに捧げる歌」の調べが山々にこだまする。もうこれだけでおなかいっぱいなのに、さらに素晴らしいのは、これが単なる記録映像ではなく、教育をテーマにした創作物ということだ。それも教育の原点に触れるような物語が構築されていて、文明人の心に染み入るような作品になっている。

 中でも印象的なのは、この地に伝わる「先生は未来に触れることができる人」という言葉だ。村の子どもたちは本当に学ぶことを渇望していて、先生には尊敬のまなざしで接する。黒板がなくても、ノートがなくても、必至で授業に向かう。もう随分と前から教育の荒廃が叫ばれているどこかの国とはえらい違いだ。

 教育を糸口に人々の幸せについて考えるきっかけを与えるというのも、いかにも国民総幸福のブータンらしい。やっぱりしばらくは映画で世界旅行を楽しむのが一番かもね。(藤井克郎)

 2021年4月3日(土)から岩波ホールなど全国で順次公開。

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ブータン映画「ブータン 山の教室」から。山奥の小さな村に住む子どもたちは学習に飢えていた ©2019 ALL RIGHTS RESERVED

ブータン映画「ブータン 山の教室」から。大自然の雄大な風景の中で、すてきな物語が紡がれる ©2019 ALL RIGHTS RESERVED