「香港画」堀井威久麿監督
ときどき、映画とは何ぞや、と考えることがある。以前は単純に、映画館でかかるのが映画だと思っていた。1990年代、東映Vシネマをはじめとしたオリジナルビデオ(OV)作品が大量に世に出てきたときも、あれは映画館で上映されないから映画ではない、と勝手に決めつけていた。中には箔をつけるために1週間だけ銀座シネパトスあたりで公開して、すぐにビデオ市場に出回っていた作品もあったが、たとえ1週間でも劇場公開された限りは、自分の中ではOVではなく、まごうことなき映画だった。
でも近年、ネットフリックスやディズニープラスなどの配信事業が活発になり、「ROMA/ローマ」(2018年、アルフォンソ・キュアロン監督)のように最初から配信を前提に作られた作品がベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞に輝き、アカデミー賞でも監督賞などを受賞するに至って、もはや劇場公開されたか否かは大した意味を持たなくなってしまった。真っ暗闇の中、大きなスクリーンで上映されてこそ映画、という考えは、もう前世紀の遺物なのかもしれない。
特に新型コロナウイルスで揺れた2020年は、その傾向に拍車がかかったと言っていいだろう。4月の緊急事態宣言ですべての映画館が閉鎖を余儀なくされたが、解除後も客足が以前のレベルに戻ったとは言い難い。映画館は感染予防対策に万全を期しているとはいえ、そこに行くまでの交通手段に不安がある人は多いようで、特に高齢者層を中心に足が遠のいていると言われる。ステイホームやテレワークが推奨される中、映画も自宅でオンラインというのが標準になってしまうのかもしれない。
そんな時代にあって、映画の本質を問いかけるようなドキュメンタリーが劇場公開される。「香港画」の堀井威久麿監督は、CMやプロモーションビデオなどさまざまな映像作品を手がけてきたが、劇場用映画はこれが初めてだという。その上映時間は28分。映画館でかけられる作品としては異例ともいえる短さだが、作品からほとばしる監督の思いの丈は、2時間を超す長編ドキュメンタリーにも負けてはいない。映画館にわざわざ足を運んで見る価値のある作品と言えよう。
撮影は2019年10月から年末までのおよそ1か月半に行われた。別の仕事で香港に滞在中、たまたま民主化を求めるデモと遭遇したことがきっかけで、堀井監督は香港の若者たちにインタビューを敢行し、警察とデモ隊が衝突する数多くの現場をカメラに収めた。
証言者は日本語を駆使する若者も多く、ある青年は「自由は空気みたいなものだった」と流暢に語る。だが現在は警察によって息ができなくなっていると訴える彼の言葉は、自由はあって当たり前と思っている日本の若者の心にも響くものであるはずだ。
繁華街を歩いていたら、警察からデモ隊と思われて催涙スプレーを吹きかけられる女の子たちは、渋谷や原宿を歩いている今どきの女子大生と何ら変わらない年格好だし、そんな彼女らが通りを逃げまどい、頭を殴られて血を流す。日本ものんきに構えていたら、いつ何時、こんな風景が繰り広げられるかわからないぞ、という監督の警鐘が、画面の向こうに見え隠れする。
さらにこの映像を単なる旅行記ではなく作品に昇華しているのは、1か月半を24時間の出来事のように編集した創意で、メリハリの利いたテンポ感によって28分がさらに濃密な時間に感じる。そうして2019年の大みそかを迎えた香港の若者は、カウントダウンで新しい年の幕開けを、「光復香港(香港を取り戻せ)」のスローガンで祝う。2020年の香港情勢はさらに悪化しているのを知っているから、このシュプレヒコールは余計に悲しい。
こういう熱い作品は、オンラインで1人、自室で見るよりは、誰かと映画館で共有した方がいいに決まっている。その意味で、28分という短さながら劇場公開に踏み切った関係者の英断には敬意を表する。
ちなみに東京では、アップリンク渋谷とアップリンク吉祥寺で上映される。アップリンクと言えば2020年、元従業員が社長のパワーハラスメントを告発し、話題となった会社だ。10月には和解が成立したものの、アップリンクにはSNSなどで「好きな映画館だったのに」「もう二度とアップリンクでは見ません」といったコメントが寄せられた。パワハラの実態については論評する材料もなければその立場にもないが、劇場には何の罪もない。多様な映画館文化を絶やさないためにも、ぜひとも完璧なコロナ対策をして、アップリンクに足を運んでもらいたい。(藤井克郎)
2020年12月25日(金)から、アップリンク渋谷など全国で順次公開。
©Ikuma Horii
堀井威久麿監督のドキュメンタリー映画「香港画」から ©Ikuma Horii
堀井威久麿監督のドキュメンタリー映画「香港画」から ©Ikuma Horii