「私をくいとめて」大九明子監督

 大九明子監督作品は一度、撮影現場を取材したことがある。と言っても長編映画ではない。2018年にキネカ大森という映画館がリニューアルするのに合わせて、映画上映前に流す2~3分の先付映像を6話分、作ることになり、その第1弾の3本を任されたのが大九監督だった。

「もぎりさん」と題された超短編映画は、キネカ大森の常連客としても知られる女優の片桐はいりが従業員の「もぎりさん」に扮し、くすっと笑えるあれやこれやを映画館で巻き起こすというもの。撮影はリニューアル前のキネカ大森で行われ、営業終了後から翌朝の上映開始前までに6話分すべて撮るというハードスケジュールだった。

 そのうち第1話だけを見せてもらったが、午後9時半から撮影が始まり、深夜0時を回ってもカメラを回し続ける粘りっぷり。ジーンズ姿の小柄な監督は、劇場関係者に上映後のドアの開け方を確認し、実際にこの映画館でもぎりを手伝うこともある片桐に「お客さんの名前を言ったりします?」と尋ね、とてきぱきてきぱき動く動く。あわよくばコメントでも、と思っていたが、そんな余裕はないくらいの全力集中だった。

 その後、「美人が婚活してみたら」(2019年)では、主演の黒川芽以にインタビューしたものの、大九監督とは会わずじまい。で、この「私をくいとめて」だが、やっぱりこの監督すげえなあ、と改めて思った次第だ。

 原作は綿矢りさの同名小説。同じ作家の作品を映画化した「勝手にふるえてろ」(2017年)でも独特のセンスに驚かされたが、今回も大九ワールド全開の映像世界が広がると同時に、主人公の心情に寄り添った細やかな演出に胸が熱くなった。

 31歳の黒田みつ子(のん)は、都会の一人暮らしを満喫する今どきの女性だ。会社では尊敬する上司(片桐はいり)やバカを言い合う先輩(臼田あさ美)と平穏に過ごし、休日は充実したおひとりさまライフを楽しむ。ときどき会社にやってくる取引先の多田くん(林遣都)は気になる存在だが、年下で頼りないしなあ。といったちょっとだけ寂しい毎日を埋めるのが、脳内に芽生えた相談役、A=アンサーの存在だった。

 この姿のないAとみつ子との会話が、映画の肝になる。手持ちのカメラがみつ子を演じるのんの表情に肉薄し、喜怒哀楽の一人芝居をスクリーンいっぱいに映し出す。彼女の感情の起伏を余すところなく切り取って記憶にとどめさせようという監督の意図が明確で、何ともぞくぞくわくわくさせられる。

 その監督の欲求に見事に応えたのんも、とてつもない女優だなと改めて感じ入った。みつ子は休暇を取って、学生時代の親友の皐月(橋本愛)に会うために、彼女の嫁ぎ先のイタリアに向かう。普段はぼうっとしてまるで飾らないみつ子なのに、久しぶりの親友と会って感情が高ぶる場面の表情は、えっ、これがさっきまでのみつ子? というくらいの大変化だ。こののんに相対する橋本の演技もまた素晴らしい。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」(2013年)以来の共演だそうだが、この場面を見るだけでもこの映画に出合ったかいがある。

 ほかにも怒りに震えるみつ子、パニックに陥るみつ子、と変幻自在ののんの表情を、中村夏葉撮影監督のカメラは容赦なくすくい取る。まさに鬼気迫るカメラワークだ。

 かと思えば、イタリア行きの機内でのファンタジーあふれる演出や、脳内Aが一瞬だけ擬人化する場面など、監督の遊び心、イメージの豊かさにはあっけにとられるばかり。コロナ禍でコンペティションがなかった2020年の東京国際映画祭で、唯一の賞に当たる観客賞を受賞したのも納得という感じがする。

 当方はその東京国際映画祭の公式上映のときに見たのだが、舞台挨拶に立った大九監督は「最初はこの原作を映画にするつもりはなかったが、ほかの人が映画化して、私が期待しているのと違うものになったら嫌だなと思って、シナリオを書いてしまった」と打ち明けていた。クリエイターとしての矜持が感じられる言葉で、やはりなかなか大した映画作家だなとの印象を持った。

 ちなみに監督の姓は「おおく」と読む。国際映画祭では、英語の通訳が「だいく」と発音していて、監督がやんわりと、しかしきっぱりと「Akiko Ohkuです」と正していた。そのスマートな対応も、センスあふれる監督ならでは、という気がした。(藤井克郎)

 2020年12月18日(金)、テアトル新宿など全国で公開。

©2020『私をくいとめて』製作委員会

大九明子監督作「私をくいとめて」から。おひとりさまを満喫するみつ子(左、のん)だが、年下の多田くん(林遣都)に…… ©2020『私をくいとめて』製作委員会

大九明子監督作「私をくいとめて」から。親友の皐月(右、橋本愛)が住むイタリアを訪ねたみつ子(のん)は…… ©2020『私をくいとめて』製作委員会