「喜劇 愛妻物語」足立紳監督
足立紳さんという人は、ものすごい才人だと思う。脚本家としては、第1回松田優作賞の受賞作を映画化した「百円の恋」(2014年、武正晴監督)で菊島隆三賞、テレビドラマの「佐知とマユ」(2015年、NHK)で市川森一脚本賞に輝いているほか、「お盆の弟」(2015年、大崎章監督)、「嘘八百」(2017年、武正晴監督)、「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(2017年、湯浅弘章監督)、「こどもしょくどう」(2018年、日向寺太郎監督)と、いろんなタイプの映画を次々とこなしてきた。小説家としても「乳房に蚊」「弱虫日記」といった作品を発表。監督は、第1作の「14の夜」(2016年)に続いて、「喜劇 愛妻物語」を自らの原作、脚本で手がけ、2019年の東京国際映画祭では最優秀脚本賞を獲得するなど、才能を遺憾なく発揮している。
それなのに本人はちっとも偉ぶったところがなく、むしろ恐縮してしまうくらい腰が低い。「14の夜」のときにインタビュー取材でお会いしたが、30代のころは10年ほど鳴かず飛ばずで、100円ショップでアルバイトをしながら、誰に見せるでもなくせっせと脚本を書きためていたというエピソードを披露してくれた。その間、どうしても監督になるんだという強い意志があったわけでもなく、心が折れそうどころか、もうぽっきりと折れてしまっていたという。ただ1人、嫁さんにだけ脚本を見せて、「こんなに面白いのに、どうしてダメなんだろうね」と言ってくれていたことが、少しは心の支えになっていたかもしれない、と笑って話してくれたことが印象に残っている。
そんな「嫁さん」との実録小説(「乳房に蚊」から改題)を下地にした作品が「喜劇 愛妻物語」だ。主人公は売れない脚本家の豪太(濱田岳)。結婚して10年目のチカ(水川あさみ)との間に5歳の娘、アキ(新津ちせ)がいるが、収入はほとんどなく、もっぱらチカのパート代で食わせてもらっている。
ある日、豪太は旧知のプロデューサーから、以前に出していた企画のプロットを書くように言われる。四国に実在する「高速でうどんを打つ女子高生」を映画化するというものだったが、脚本にするには実際に四国まで取材に行かなければならない。運転免許のない豪太は、何とかチカを説得し、アキと3人で夏休みを兼ねた取材旅行に出かけることになった。
この旅行先でのドタバタが最高におかしい。ホテル代をケチって豪太とアキだけでシングルルームにチェックインし、後で裏口からチカがこっそりと侵入するときの描写といったら、いま思い出しても笑いが込み上げる。「高速でうどんを打つ女子高生」の絵面もわけわかんないし、何より濱田と水川の主役コンビの体当たり演技に度肝を抜かれた。
特に水川のキレッキレぶりは目を見張るばかりで、新境地を開いたのではないか。中でも夜中に1人で飲みに出た夫が警察に捕まり、交番まで迎えにいった帰り道の場面は出色で、娘を抱っこした夫を罵倒しながら、ふてくされた表情でどこまでも歩き続ける。正面からノーカットの移動カメラで2人をとらえる大胆なカメラワークも見事だが、爆笑せりふを織り交ぜてよどみなくしゃべりまくる水川の変幻自在な表情にはうなるしかない。おずおずと応じる濱田のリアクションも大したもので、どこまでが脚本通りで、どこからがアドリブなのか、まさにここにしかない時間が切り取られている。2人の間合いといい、勢いをそのままやり通した足立監督の胆力といい、空気感まで収めた撮影の猪本雅三の感性といい、すべてがぴったりとはまった名シーンと言っていいだろう。
とかく日本のコメディーというと、単に変な動作をしたり、下品な言葉を連発したりするだけで、空虚で薄っぺらなものも多いが、脚本と撮影と演技が合致すると、こんなにも笑えて感動できる作品になることがわかった。ユーモアとペーソスを巧みに練り上げた足立監督は、やはりただものではないことは確かなようだ。(藤井克郎)
2020年9月11日(金)、全国公開。
©2020『喜劇 愛妻物語』製作委員会
足立紳監督作「喜劇 愛妻物語」から。妻のチカ(水川あさみ)、娘のアキ(新津ちせ)と取材旅行に出かけた豪太(濱田岳)は…… ©2020『喜劇 愛妻物語』製作委員会
足立紳監督作「喜劇 愛妻物語」から。豪太(濱田岳)は、妻のチカ(水川あさみ)に取材旅行の件を恐る恐る切り出すが…… ©2020『喜劇 愛妻物語』製作委員会