「佐藤さんと佐藤さん」天野千尋監督

 2020年12月に「ミセス・ノイズィ」(2019年)が公開されてから5年、これほど次回作との出合いを楽しみにしていた監督もそうはいない。何しろ前作は構造といい、社会性といい、役者の演技といい、驚くような発見が目いっぱいに盛られていて、次は一体どんな手で仕掛けてくるのか、待ち遠しくて仕方がなかった。

 その天野千尋監督の待望の新作が「佐藤さんと佐藤さん」だ。タイトルだけでもわくわくさせられるが、前回の諧謔味あふれる社会派コメディーからがらりと趣向を変え、パートナー同士のちょっと切なくもいとおしい人間ドラマがテンポよく紡がれている。これはこれでまた新たな側面を見せてもらったな、と大いに満足した次第だ。

 大学で同級生の佐藤サチ(岸井ゆきの)と佐藤タモツ(宮沢氷魚)が出会ったのは大学の駐輪場だった。ドミノ倒しになった自転車を起こすのを手伝う場面から始まって、珈琲研究会という同じサークルに所属し、やがて付き合うようになるまでを爽やかに一気に見せ切る。お互いに相手のことを思いやる、どこにでもいるようなうぶな恋人たちで、この仲のいい2人がどういう道を歩んでいくか、というのが物語の骨格だ。

 古いマンションで一緒に暮らすようになった2人だが、就職したサチに対し、弁護士を目指すタモツは司法試験に失敗。塾講師をしながら独学で挑むも落ち続け、サチは相手を気遣うあまり、一緒に司法試験の勉強をしてタモツに寄り添いたいと願う。だが……、というところから2人の仲がぎくしゃくしていく。

 脚本には天野監督のほか、「話す犬を、放す」(2016年)の熊谷まどか監督が共同で参加しているが、あんなに信頼し、尊重し合っていた2人が、どうしてこうなってしまうのかという過程が極めて繊細に描かれていて見応えがある。ぎくしゃくしながらも妊娠、結婚、出産と互いの絆を深めるうれしい出来事が起こるものの、それでも掛け違ったボタンは元に戻らない。相手のことを大事に思っているがゆえのジレンマであり、そのもどかしさを岸井ゆきのと宮沢氷魚の2人がせりふに頼ることなく表情と態度で巧みに表現する。どちらの思いもよく分かるだけに、もう痛々しくてたまらない。

 カメラワークがまたよくできていて、序盤のまだぎこちなく初々しい関係のときは手持ちカメラによる揺れる画面が多く、2人の間が不安定になるに従って徐々に視点が落ち着いていく。そして最後、出会いの象徴でもある自転車をサチが1人で走らせている風景は、いつしかスクリーンサイズも横幅の広いシネマスコープになっていて、何も束縛のない大らかさに満ちあふれている。どういう意図なのか受け取るのは見る側次第だろうが、恐らく幸せ、不幸せの感じ方は人それぞれで、結婚という形が必ずしも一番というわけではないし、離婚したからと言って不幸というものでもない、といったことを描写したかったのかなと思った。

 その象徴として、ベンガル演じる高齢者男性が長年連れ添った妻から離婚届を突きつけられて法律事務所に相談にやってくるという例が出てくる。今や夫婦というものの役割も立場も個別個別で違っていて、典型などというものはありはしない。我慢してまで無理に夫婦でいる必要はないし、それは親子や兄弟、あるいは家を守るといった家族に関すること全てに言えるのではないか。そんな命題が作り手から提起されている気がした。

 それにしても岸井と宮沢の表現力には圧倒されるばかりだ。怒りと喜びの振幅が重なり合って、その記憶が次の振幅にさらに拍車をかける。その積み重ねが最後には大きな波となって、こんなにも心が揺さぶられるようになるとは、改めてすごい俳優だなと再認識すると同時に、その演技を引き出した天野監督の演出力にも舌を巻く。

「ミセス・ノイズィ」のときにインタビューした際、天野監督は「映画ってスタッフだったり、俳優さんだったり、たくさんの人がつどってこそできるクオリティーが絶対にあるし、そのクオリティーの部分を担保して面白いものを作っていくしかないんですよね」と話していた。この作品で、改めてその信念が再確認されたような気がした。(藤井克郎)

 2025年11月28日(金)、全国公開。

©2025『佐藤さんと佐藤さん』製作委員会

天野千尋監督「佐藤さんと佐藤さん」から。佐藤サチ(左、岸井ゆきの)と佐藤タモツ(宮沢氷魚)の2人は相手を思いやるすてきなカップルだったが…… ©2025『佐藤さんと佐藤さん』製作委員会

天野千尋監督「佐藤さんと佐藤さん」から。サチ(左、岸井ゆきの)とタモツ(宮沢氷魚)の佐藤夫婦に子どもが生まれて…… ©2025『佐藤さんと佐藤さん』製作委員会