「てっぺんの向こうにあなたがいる」阪本順治監督
阪本順治監督という人は、本当に振れ幅の大きい映画作家だなと思う。若者に熱狂的な支持を受けた「どついたるねん」(1989年)でデビューして以降、バイオレンスにコメディー、社会派と対象は幅広くても、どれもとんがった作品を世に問うてきたイメージがあったが、最近は娯楽大作もばんばん手がけるようになり、しかも作品数が極めて多い。初期のころを知る者としては、こんなに器用な人だったのかと戸惑いを覚えることがある。
新作の「てっぺんの向こうにあなたがいる」は、単純に予算の大小で比較すれば、最も大作寄りの作品ではないだろうか。吉永小百合の主演で山を舞台にロケ撮影を行い、開催中の東京国際映画祭ではオープニングを飾った。若いころに何度かインタビュー取材でお会いしたときは朴訥な受け答えで、あまり華やかな場面は似合わないような印象だったが、レッドカーペットはどういう気持ちで歩いているのだろうか。
でも大作だから志がないというわけでは決してない。現在と過去を交錯させた巧みな構成といい、雄大な山々を生き生きと捉えたカメラワークといい、何よりも過酷な自然に真摯に立ち向かう役者陣とスタッフの映画人魂がスクリーンの向こうからひしひしと伝わってきて、見ている最中から感動の波が押し寄せてきた。
作品は、エベレストに女性で世界初登頂するなど、日本の登山界を牽引した田部井淳子の実人生をモデルにしている。女子登山クラブの多部純子(のん)は、仲間たちとエベレスト登山に挑戦する遠征費を得るために苦労をしていた。女性というだけで拒否反応を示されながらもめげることのない前向きな姿勢に、新聞記者の北山悦子(茅島みずき)も影響を受け、ペンの力で役に立ちたいとのめり込んでいく。
1975年、ついにエベレストに向かったクラブの面々だが、悪天候などのため、頂上を目指すアタッカーは一人に限定された。みんなの夢を託されて初登頂を成功させた純子だったが、試練はその後にやってきた。という過去の回想場面と並行して、2010年、重い病気に侵された純子(吉永小百合)と悦子(天海祐希)、夫(佐藤浩市)に娘(木村文乃)、息子(若葉竜也)の家族、そして山と向き合う日々がテンポよく描かれる。
驚かされるのが、35年の時の隔たりが何の違和感も覚えないことだ。吉永とのん、天海と茅島、それに純子の夫役の佐藤浩市と工藤阿須加も、まさに同一人物として同じ世界を生きている。のんが演じるテキパキとはっきりものを言う積極的で情熱的な女性が、年を重ねれば確かにこの吉永のようになるに違いないというくらい、2人ともお互いに憑依している。阪本監督の演出力もさることながら、名優ならではのなせる技に違いない。
しかも2人とも、いや主立った役者陣はみんな山に登る。吉永なんて今年80歳になったとは思えない健脚ぶりで、しかもかつてはエベレストに登り、今は病魔に侵されている人間として山に登る。スタッフも重い機材を抱えて山に登る。真剣に映画を作るということはこういうことなんだと教えてくれているようだ。
さらにストーリー的にも、単にエベレスト初登頂を成功させた女性の伝記映画にはなっていない。女性の地位が極めて低かった時代から女性ならではの苦労を背負いつつ、仲間の仲たがいや家族の反発、それに病魔との闘いなどさまざまな困難にも直面する。それでも乗り越えて生を完遂できたのは誰かの支えがあったからこそだし、どんなスーパーヒーローも決して一人では生きていけない。そんな現代を生きるあらゆる世代、あらゆる性別に向けての強いメッセージが込められている。
それらをバランスよく描出したのは、やはり百戦錬磨の阪本監督によるところが大きいのではないか。娯楽大作だけでなく、例えば最近だと「せかいのおきく」(2023年)のような低予算モノクロ画面の地味なテーマの作品でも、深い人間ドラマとして世界で高評価を受けている。60代も後半に差しかかったが、まだまだ衰え知らずだ。
阪本監督に初めてお会いしたのは1996年7月、大阪・通天閣を舞台にした「ビリケン」(1996年)の公開前インタビュー取材だった。それまで「どついたるねん」をはじめ、硬派なテーマが続いた中での異色のコミカルなファンタジーだったが、本人はどちらかというと死生観など重いテーマの方が好きなんだろうと打ち明けていた。「でも一度、そういうものから逃れたかった。いつも僕の映画にある死というものを、一回、取っ払いたかったというのはあります」と話していた。
そうやって自分から進んで切り開いていったことで、今の幅の広さにつながっていったんだなと思うと、なるほど感慨深い。(藤井克郎)
2025年10月31日(金)、全国公開。
©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会

阪本順治監督「てっぺんの向こうにあなたがいる」から。純子(左、吉永小百合)は夫の正明(佐藤浩市)ら多くの支えで艱難辛苦を乗り越えてきた ©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会

阪本順治監督「てっぺんの向こうにあなたがいる」から。エベレストの女性初登頂に成功した純子(のん)だったが…… ©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
