「入国審査」アレハンドロ・ロハス、フアン・セバスチャン・バスケス監督

 もう長いこと海外には行っていないし、空港に降り立ったときの気持ちなんてすっかり忘れてしまっているけど、わくわくはしてもどきどきすることはあんまりなかったなあという気がする。さすがに戦争の取材でフィリピンに向かったときは、これからの取材のことを考えると気が重かったが、アジアでもヨーロッパでもアメリカでも、入国審査で嫌な思いをしたことは一度もなかったように思う。

 ともに南米ベネズエラの出身で、現在はスペインを拠点に活動しているアレハンドロ・ロハスとフアン・セバスチャン・バスケスの両監督が共同で手がけた長編第1作「入国審査」は、1976年生まれと年長のロハス監督がベネズエラからスペインに移住したときに実際に経験したことからヒントを得て映画化した作品だそうだ。だからある程度リアリティーを伴っているのは確かで、世界にはこの手の恐怖を体験した人がいっぱいいるんだろうな、というのは想像できる。

 さらに入国審査そのもの以上の別の恐怖が、しかもどんな状況でも起こり得るような普遍的な恐怖が、入国審査を受けている最中に新たにもたらされるという展開がいかにも映画的で、なるほどこう来たか、と両監督の巧妙な手口にすっかり乗せられたというのが正直なところだ。

 アメリカに移住するためスペインのバルセロナからニューヨークの空港に到着したディエゴ(アルベルト・アンマン)とエレナ(ブルーナ・クッシ)の2人は、入国審査の確認に長い時間を要した揚げ句、別の待合室に連れていかれる。乗り継ぎ便に間に合わないと気が気でない2人だが、狭い別室に入れられると、女性の審査官(ローラ・ゴメス)から、途中からは別の男性審査官(ベン・テンプル)も加わって執拗な尋問を受ける。

 映画の大半は、この密室での2人の尋問の様子に終始する。最初は2人一緒に女性審査官から同じような質問を投げられる。この尋問によって、2人は夫婦とは言うものの事実婚であり、エレナはグリーンカードの抽選で移民ビザを取得し、ダンサーとして講師を務めていたこと、抽選に外れたディエゴは国籍はベネズエラで、都市プランナーを自称しているものの現在は無職であること、などが徐々に明らかになる。やがて2人は引き離され、別々にやはりこれまでに聞かれたようなことを、手を替え品を替えて何度も何度も質問される。いらいらするほどのしつこさだが、恐らくロハス監督が経験した事実がこれくらいしつこかったのだろう。

 そんな中から2人の間でこれまで共有していなかった新事実が暴露されるのだが、うまいなあと思うのは、当の2人は疑心暗鬼を募らせる一方、全ての尋問の現場をのぞき見ているわれわれ観客は事の顛末を把握しているということだ。2人一緒の尋問のときに新事実が明かされ、ディエゴもエレナも困惑の表情を浮かべるが、その後の別々になってからの相手の受け答えはわからない。2人で新天地にやってきて、これから力を合わせて幸せな暮らしを送ろうと胸を躍らせていたのに、お互いに心の中に疑念が芽生えてしまった。誰にだって秘密の一つや二つはあるものだが、移民問題という世界規模の社会的テーマの先に、ごくごく個人的な夫婦間の溝が浮かび上がってくるというのが何とも皮肉が効いていて、ロハス、バスケス両監督の作劇の巧みさににやりとさせられた。

 にしても、何と時宜にかなったモチーフだろう。製作されたのは2023年で、まだトランプ大統領が2度目の政権に就く前のことだが、まるで現在のアメリカの厳しい移民政策を予言したかのような描写に、驚きを通り越して背筋が凍る思いだ。日本でも移民を排斥するような主張を唱えた政党が先の参院選で議席を増やしているし、この映画を単によくできた娯楽作品として楽しんでばかりはいられないかもしれない。65万ドルの低予算で、わずか17日間で撮影された監督デビュー作だそうだが、SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)映画祭やタリン・ブラックナイト映画祭といった名立たる国際映画祭で大評判を取ってきたのもむべなるかな、という気がした。(藤井克郎)

 2025年8月1日(金)から、東京・新宿ピカデリーなど全国で順次公開。

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