「未完成の映画」ロウ・イエ監督

 中国のロウ・イエ(婁燁)監督の作品はそんなに見ているわけではないが、「天安門、恋人たち」(2006年)が本国で上映禁止になるなど社会派の映画人というイメージがある。一方でその紡ぎ出す映像世界は極めてスタイリッシュで、視覚障害者の群像劇だった「ブラインド・マッサージ」(2014年)なんて盲目の世界観を彷彿とさせる薄ぼんやりとぼやけた映像が印象的だったし、戦時中の上海を舞台にしたスパイ映画「サタデー・フィクション」(2019年)も鮮烈なモノクロ画像が実に美しかった。

 ただ手持ちカメラによる揺れまくるショットの多用はちょっと好みにあわないかな、とも感じていたが、最新作の「未完成の映画」を見て、ああ、これぞ手振れの真骨頂かもしれないと認識を新たにした。何せ映画作りとコロナ禍をモチーフにした社会派も社会派の相当な意欲作で、ロウ監督の覚悟と決意、それにわずかながら遊び心も込められている。今でなければ撮れない、でも今のご時世によくぞ撮ったものだ、と思わずにはいられない。

 映画監督の毛暁叡(マオ・シャオルイ/毛小睿)は、10年前に制作が中断された同性愛映画を完成させたいと、当時のスタッフ、キャストを呼び寄せる。かつての映像を掘り起こしつつ、新たな撮影もほぼ終了した2020年の1月、武漢で発生した新型コロナウイルスが中国全土に拡大。撮影クルーが宿泊しているホテルも外出が禁じられ、多くの関係者が足止めを食らう。主演俳優の江誠(チン・ハオ/秦昊)もホテルの自室から一歩も出られなくなり、スタッフや妻の桑琪(チー・シー/斉渓)とはオンラインでの会話だけというつながりになってしまう。

 映画は、この頓挫した作品の撮影再開から、コロナ禍で当局によって外出禁止を言い渡され、ホテルの部屋で旧正月の春節を迎えるまでの一連の動きを、江誠を中心にドキュメンタリータッチで勢いよく描き切る。すんでのところでホテルから脱出できたスタッフと、あと一歩のところで閉じ込められてしまった江誠らの明暗を、思いっきりぶれまくる手持ちカメラの映像が生々しく捉えていて、まるでこちらもホテルの内外で同じように右往左往しているかのようだ。

 江誠は、出産したばかりで不安を隠しきれない妻をスマートフォンで気遣いながらも、廊下にさえ出られない現状にどんどんいらいらを募らせていく。そんな孤独でストレスフルな数日間を、演者のチン・ハオがほとんど一人芝居のように怒りと焦りの表情で表現する。見ている側もどんどんストレスがたまってくる。ああ、あのコロナ禍の閉塞感って、まさにこんな感じだったな、と思ったそのとき、スタッフたちが何とかこの環境を受け入れて楽しむ方策を考え出すという展開が、この作品の最大の見どころだろう。

 春節を迎える瞬間の映像処理は、コロナ禍を経験した者なら誰もが見覚えのある光景に違いない。人はどんな困難な状況にあっても、誰かとつながっていたい。そして映画という娯楽は、誰かと誰かをつなげる最高の創造物なのではないか。百戦錬磨のロウ監督だからこその純粋な思いがスクリーンからにじみ出てきて、心にずしりと響いた。

 さらに驚くべきは、このいかにもドキュメンタリーっぽい再現ドラマに差し挟まれる形で、本当のドキュメンタリーと思しき記録映像が流れる点だ。政府への不満を口々に言い募る群衆やコロナで母親を亡くした幼い女の子など、恐らく市井の人々が撮ったであろうビデオ画面がちらっちらっと効果的に現れる。一体どうやって入手したのかという興味とともに、よくこんな危険な動画をエンターテインメント作品に取り入れたものだ、とロウ監督の勇気と行動力には感服する。

 この「未完成の映画」はシンガポールとドイツの合作で、プレス資料によると中国で公開される可能性は全くないということだが、ロウ監督は「完成させること自体が一つの成果だ」と語っているという。未完成にならなくて何よりだし、希代の傑作をスクリーンで視聴できる環境にいることは非常に幸せなことなんだと実感した。(藤井克郎)

 2025年5月2日(金)から、東京・アップリンク吉祥寺、角川シネマ有楽町など全国で順次公開。

© Essential Films & YingFilms Pte. Ltd.

シンガポール、ドイツ合作のロウ・イエ(婁燁)監督「未完成の映画」から © Essential Films & YingFilms Pte. Ltd.

シンガポール、ドイツ合作のロウ・イエ(婁燁)監督「未完成の映画」から © Essential Films & YingFilms Pte. Ltd.