「BAUS 映画から船出した映画館」甫木元空監督

 18歳で上京して初めて住んだ街が吉祥寺だった。朝晩の食事がついて家賃も格安という福井県出身の学生のための男子寮に入居したのだが、東京のことなど何も知らず、武蔵野市吉祥寺東町という住所から、雑木林が生い茂る郊外にぽつんと大きなお寺がある素朴な風景を思い浮かべていた。

 ところが東京駅から国電の中央線で西に向かって行けども行けども、車窓から見える景色はビルや家々がびっしりと軒を連ねている。降り立った吉祥寺駅前には、アーケード街にデパートまでそろっていて、雑木林どころか田んぼさえ見えない。あらら、こんな大都会に暮らすんけ、と身震いした覚えがある。

 当時は音楽で身を立てたいという無茶な野望を抱いていて、夏休みに必死にアルバイトをして貯めたお金で中古ピアノを購入。その年の秋にはピアノが置けるアパートに引っ越したから、吉祥寺の住人だった期間はわずか半年に過ぎない。寮の食事がストップする夏休みの間、アーケード街のサンロードにある安食堂で一人寂しく夕飯をかき込んでいた覚えがあるくらいで、もうちょっと実のある吉祥寺ライフを送ればよかったなと悔やまれる。

 そのサンロードには、今や伝説の映画館のバウスシアターがあった。もっともわが方が吉祥寺に住んでいた1979年当時は吉祥寺ムサシノ映画と言っていたようで、映画青年ではなかった身としては、その存在すら知らなかった。ようやく伝説の一端に触れるようになったのは、2000年代になって爆音上映なる画期的な試みがなされるようになってからで、総支配人の本田拓夫さんにも何度か取材でお目にかかる機会を得た。

 バウスシアターは2014年に惜しまれつつ閉館となるが、その後も本田さんは「PARKS パークス」(2017年、瀬田なつき監督)の製作に携わるなど映画とのつながりが切れることはなく、ついに今度は本田さんの家族をモデルにした「BAUS 映画から船出した映画館」が完成。映画好き、映画館好き、さらには吉祥寺好きのとある家族の90年にわたる物語が情緒豊かにつづられた作品で、これを見た日には、どうしてもっとバウス通いをしなかったんだろう、とますます後悔の念が募ってくる。

 主人公はまさに映画館と言っていい。1927年、明日を夢見て青森から上京してきたハジメ(峯田和伸)とサネオ(染谷将太)の兄弟は、創業間もない吉祥寺初の映画館、井の頭会館で働くことになる。兄のハジメが活動弁士として人気を博す一方、経営の才に長けていたサネオは社長に抜擢。気立てのいい働き者のハマ(夏帆)という伴侶も得て、すべては順風満帆のように思われたが、時代は戦争の足音が迫ってきていた。

 映画館を取り巻くこの激動の流れをメインに、サネオの子でバウスシアターを切り盛りするタクオ(鈴木慶一)と娘のハナエ(橋本愛)とのどこかファンタジーに包まれた現代パートが差し挟まれる。決して理路整然とした筋立てではなく、かなり大胆に家族の情景の断片が紡がれていくが、戦争に向かって文化が蹂躙されていく恐怖から、戦後の悲しみを引きずりながらも地域文化を盛り立てていこうという躍動感、さらには次世代のタクオが苦渋の末に映画館を閉めることを決断するまで、90年にわたる歴史が走馬灯のように駆け巡る。

 いかにも映画的だなと感じるのは、その走馬灯は吉祥寺の映画館と、映画館に隣接する井の頭公園界隈から一歩も外に出ないという点だ。この狭い範囲内だけの描写で、時代の空気感から家族の喜び、悲しみ、それぞれのお互いへ寄せる思いのすべてが表現し尽くされている。

 それはひとえに映画館と公園という、その舞台装置が持っている力のせいだろう。映画館は閉ざされた空間でしかも暗闇に包まれていながら、スクリーンに投影されているのは無限に広がる地球規模の情景であり、座席にいながらにしてあらゆる世界につながっている。一方の公園は、人だけでなく植物も動物も虫たちもあらゆる生きとし生けるものに開かれた場所で、やはり無限の可能性を秘めている。限定的なのに無制限というのは映画の神髄に通じるのではないか、と気づいて思わず身震いした。

 多摩美術大学映像演劇学科で映画づくりを学んだ甫木元空監督は、「はるねこ」(2016年)や「はだかのゆめ」(2022年)が数々の国際映画祭で話題を呼んだほか、Bialystocksとしてのバンド活動でも評価が高い。その高感度は映像の作り込みだけでなく、せりふにも遺憾なく発揮されていて、今回も「たばこの煙と光はつながっている、一瞬を永遠に引き延ばす」とか「後悔しない人生なんてつまらない」とか「食べ物は体をつくる、学校は頭をつくる、そして映画は心をつくる」といった珠玉の名言がちりばめられている。

 スタッフの一覧を見ると、脚本に甫木元監督とともに2022年に57歳で他界した青山真治監督の名前がクレジットされている。青山監督には長編デビュー作の「Helpless」(1996年)のときにインタビューをしたのをはじめ、何度か取材でお会いしたことがある。2013年の8月には、青山監督が教壇に立つ多摩美術大学映像演劇学科のカリキュラムの一環として山梨県の山中湖畔で合宿撮影していた現場を訪問。学生たちと一緒になって楽しそうに手作り映画に取り組むまた別の一面に接することができた。

 その短編「FUGAKU1 犬小屋のゾンビ」(2013年)には、甫木元監督も助監督として参加していたことを知った。長編第1作の「はるねこ」も青山監督がプロデューサーを務めているし、甫木元監督にとって青山監督は恩師以上の存在だったに違いない。バウスシアターと本田さんの思いが「BAUS 映画から船出した映画館」という映画になって永遠に残っていくのと同様、青山監督の遺志も確実に明日へと受け継がれていく。(藤井克郎)

 2025年3月21日(金)、東京・テアトル新宿など全国で順次公開。

©本田プロモーションBAUS/boid

甫木元空監督「BAUS 映画から船出した映画館」から。サネオ(染谷将太)は映画館に情熱と愛情のすべてを注ぎ込んでいた ©本田プロモーションBAUS/boid

甫木元空監督「BAUS 映画から船出した映画館」から。とある家族の90年にわたる映画館への思いがつづられる ©本田プロモーションBAUS/boid