「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」ペドロ・アルモドバル監督

 ロサンゼルスの山火事で2度も延期になったアカデミー賞のノミネート発表が無事、行われた。最多は作品賞を含む12部門13ノミネートとなったフランスのジャック・オーディアール監督作品「エミリア・ペレス」で、「ブルータリスト」(ブラディ・コーベット監督)と「ウィキッド ふたりの魔女」(ジョン・M・チュウ監督)の10ノミネートが続く。ハリウッド外国人映画記者協会の会員によって選出され、アカデミー賞の前哨戦と言われるゴールデングローブ賞の作品賞が、ミュージカル・コメディー部門は「エミリア・ペレス」、ドラマ部門は「ブルータリスト」だったから、まずは順当なノミネーションと言えるのかもしれない。

「エミリア・ペレス」は2024年のカンヌ国際映画祭で審査員賞と女優賞、「ブルータリスト」はベネチア国際映画祭で監督賞を受賞しているし、カンヌで最高賞のパルムドールを獲得した「ANORA アノーラ」(ショーン・ベイカー監督)も作品賞など6部門でノミネートされた。ほかにもカンヌで脚本賞だった「サブスタンス」(コラリー・ファルジャ監督)やベネチアの脚本賞「I’m Still Here(英題)」(ウォルター・サレス監督)が名を連ねているのに対し、不思議だったのはベネチアで最高賞の金獅子賞に輝いたペドロ・アルモドバル監督の「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」が、作品賞はおろか一つもノミネートされなかったことだ。

 スペインの至宝、アルモドバル監督と言えば、原色を大胆に使った独特の色彩感覚と人情の機微に触れた味のある演出で、若いころから世界的に高い評価を得てきた。過去には「オール・アバウト・マイ・マザー」(1998年)で外国語映画賞、「トーク・トゥ・ハー」(2002年)で脚本賞と2度、アカデミー賞を受賞しているし、今回の新作はスペイン映画ながらアメリカを舞台にした英語の作品で、ともにオスカー俳優のティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアが主役を演じている。スウィントンはゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされていたからアカデミー賞の受賞条件も満たしていると思うんだけど、一体どういうわけなのだろう。

 何しろこの作品、今日的なテーマ性といい、主役2人の鬼気迫る演技といい、舞台となっている邸宅のたたずまいといい、もうすべてがいとおしくて切なくて、いつまでもぎゅっと抱き締めていたくなるような思いに駆られた。

 アメリカの作家、シーグリッド・ヌーネスの小説を原作にしている。小説家として成功しているイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、かつて同じ雑誌社で働いていた元戦場ジャーナリストのマーサ(ティルダ・スウィントン)が末期がんに侵されていることを知る。何年も音信不通だったマーサを病院に見舞ったイングリッドは、旧交を温めていく中で彼女からあるお願いを切り出される。それは死を迎える瞬間に、誰か、すなわちイングリッドに隣の部屋にいてほしいという依頼だった。

 安楽死を選ぼうとしているマーサの真剣な要望に対し、イングリッドは悩みに悩んだあげく、受け入れることにする。郊外の森の中にぽつんとある一軒家を借りたマーサは、イングリッドとともに穏やかな気持ちで最期の時間を過ごそうとするが、イングリッドの方は穏やかというわけにはいかなかった。

 この森の邸宅での2人の描写が、何とも形容しがたい豊かな空気感に彩られている。バスター・キートンの映画を仲良く見たり、時に激しく言い合ったり、お互いの心の揺れが実に繊細に紡がれる。

 マーサ役のスウィントンは骨と皮だけのがりがりにやせ細ったすさまじいまでの肉体改造で、間近に迫る死への向き合いを恐怖と達観が入り交じった微妙な表情で体現。一方のイングリッドを演じるムーアは、マーサの元恋人と付き合っている事実を伏せつつ、かつて競い合った仲の安楽死を見守る受容と逡巡を、強さ弱さの両面で表現する。どちらも他に類を見ない唯一無二の難役であり、この2人でなければなし得なかった奇跡だろう。

 加えてアルモドバル監督ならではの映像表現が、これまた絶妙な味わいを醸し出している。邸宅の調度品のどぎつい原色は、消えていくとは言えはかなくはない命の象徴だし、2人が並んで座るデッキチェアの赤とグレーの配色は、それぞれの心の内を物語るコントラストだ。眼前には深い緑の森が広がり、鈍色の曇り空からはピンクの雪が降る。この決して多くを語るわけではない情景と色使いに2人の覚悟と悔恨が反映されていて、ただぼーっと眺めているだけでぐっと胸に迫ってくるものがある。

 日本でもかなり以前から孤独死は社会問題になっているし、生き方ならぬ死に方は、世界中の現代人が直面している普遍的な課題かもしれない。それにマーサに反発して疎遠になっていた娘との関係性など、生きることの意味も同時に突きつけてきて、見終わった後には何とも言えない深い余韻が残るんだよね。

 過去、アカデミー賞ノミネートに外れた作品には、チャールズ・チャップリン監督「モダン・タイムス」(1936年)、ハワード・ホークス監督「赤ちゃん教育」(1938年)、ジョン・フォード監督「捜索者」(1956年)、オーソン・ウェルズ監督「黒い罠」(1958年)、スタンリー・キューブリック監督「シャイニング」(1980年)などなど、名作の誉れ高い人気作がいっぱいある。「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」は時代を先導する映画だし、さすがベネチア国際映画祭、よくぞ金獅子賞に選び出したものだ。(藤井克郎)

 2025年1月31日(金)から、東京・ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下など全国で順次公開。

©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

ペドロ・アルモドバル監督のスペイン映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」から。マーサ(右、ティルダ・スウィントン)はイングリッド(ジュリアン・ムーア)と最期の時を過ごすことに…… ©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

ペドロ・アルモドバル監督のスペイン映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」から。死期を悟ったマーサ(右、ティルダ・スウィントン)はイングリッド(ジュリアン・ムーア)にある依頼を持ちかける ©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.