「ハード・トゥルース 母の日に願うこと」マイク・リー監督
イギリスの至宝、マイク・リー監督には、インタビュー取材をした映画人の中でも特に強く印象に残っている。お会いしたのは1994年6月、前年のカンヌ国際映画祭で監督賞を獲得した「ネイキッド」(1993年)の日本公開を前に来日したときだったが、まだ映画担当になって日が浅く、必死になってメモを取っている姿を見て、「テープに頼らないという姿勢はいいですね」とお褒めにあずかったのだ。
それに何より、映画作りの独特の手法についての話が刺激的だった。ロンドンの王立演劇学校で演技を学んだリー監督は、俳優たちと何カ月も稽古を積み重ねていくことでキャラクターを確立し、せりふを生み出していくというやり方で映画を作っていて、「そのプロセスにおいては、どの部分を映画にして、どういう結果になるのか、私にもわからない」と話していた。世紀末や黙示録といった深遠なモチーフを盛り込みながら、闇と笑いが混在する「ネイキッド」もそんなふうに作り上げていったのかと感動していたら、「でもこの話は映画とは無関係で、何が重要かと言ったら作品そのものしかない。新聞を読む読者にとって、取材にテープを使ったかペンだったのか関係がないのと同じです」と、イギリス人らしい機知で返してくれたのも思い出深い。
その後、カンヌのパルムドール作品「秘密と嘘」(1996年)、ベネチアの金獅子賞受賞作「ヴェラ・ドレイク」(2004年)など、名立たる国際映画祭で最高賞に輝く名作を世に送り出してきた。そして80歳を超えた今、「ハード・トゥルース 母の日に願うこと」でまたも人間の心の闇をシニカルな笑いを伴って暴き出す。
主人公はロンドンに住む中年女性のパンジー(マリアンヌ・ジャン=バプティスト)。おとなしい配管工の夫、カートリー(デヴィッド・ウェバー)に毒づき、引きこもり気味の無職の息子、モーゼス(トゥウェイン・バレット)には口うるさく文句を垂れるなど、いつも何かに苛立っては当たり散らしていた。
そんなパンジーとは対照的に明るく社交的な美容師の妹、シャンテル(ミシェル・オースティン)から、母の日に亡き母親のお墓参りに行こうと誘われる。嫌々ながら同行したパンジーは、母親の墓前で故人の悪口を言い募り、両家の家族が集まって妹の部屋で開かれた母の日の食事会でも感情をコントロールすることができない。だが、いつも面罵している息子のモーゼスが、母の日のプレゼントに花束を買っていたことを知り……。
このパンジーのキャラクターがめちゃくちゃ強烈で、とにかく圧倒されまくる。冒頭は彼女の大音量による怒りの悲鳴で幕を開けるし、家族相手だけでなく、家具店でもスーパーでも病院でも歯医者でも、知り合いか全くの他人かの別なく、常に噴火しっ放しなのだ。スーパーのレジ係も若い女医さんもほとほと困り果ててうんざりしているのだが、なぜか第三者のわれわれからすると、こんなにも面白い人物はいないというほど面白い。ごく身近にいたら憂鬱の種なのに、傍からみたら痛快極まりないというのは、ある意味、社会の真実をついている。
もう息子などは完全無視を決め込んでいるが、妹のシャンテルは何とか姉に寄り添おうと努力し、2人の娘たちにも理解を求める。そんな2家族一人一人の心情が、決してせりふで説明されることなく、でも細やかに丁寧に表現されているところにリー監督の作劇のすごみを実感する。中でもラストに向かうパンジーと夫のカートリーそれぞれの行動、表情は、2人とも無言にもかかわらず極めて雄弁に胸の内を物語っていて、ぞわぞわっとした余韻がいつまでも心に残った。さすがは演劇的な手法で積み上げた芝居というか、まさにリー監督の徹底した演出法の賜物という気がしてならない。
パンジーを演じるマリアンヌ・ジャン=バプティストがまた、本当に嫌味の塊のような人物なのになぜか憎めない存在として映画の中でしっかりと生きている。アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた「秘密と嘘」以来のリー監督作品だそうだが、監督とともにじっくりとキャラクターを構築していった成果なのか、人間性の深奥をえぐり出すような表現力には驚くばかりだ。
ほんわかした音楽も、この怒りにあふれた描写と絶妙なバランスの不釣り合いさで、作品の持つ皮肉性にさらに拍車をかけているし、こんなにも毒まみれなのにスカッとした清新さも感じる。80歳を過ぎてなお、映画の新たな可能性を見いだそうとしているリー監督の意欲に接し、まだまだ枯れちゃいけないよ、と発破をかけられているような気がした。(藤井克郎)
2025年10月24日(金)から、東京・新宿のシネマカリテなど全国で順次公開。
©Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.

マイク・リー監督のイギリス映画「ハード・トゥルース 母の日に願うこと」から。パンジー(左、マリアンヌ・ジャン=バプティスト)は妹(ミシェル・オースティン)に弱音を吐くが…… ©Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.

マイク・リー監督のイギリス映画「ハード・トゥルース 母の日に願うこと」から。パンジー(中央、マリアンヌ・ジャン=バプティスト)の毒は家族にも容赦ない ©Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.