「大きな家」竹林亮監督
最近は映画をオンラインで視聴することが当たり前になっていて、劇場公開で見逃してもどうせすぐに配信されるだろうと高をくくっている御仁も多いのではないか。でも安心するなかれ。映画館での上映しか予定していない映画だっていっぱいある。
そんな作品の一つ「大きな家」は、とある児童養護施設にカメラが入り込み、そこに暮らしている子どもたちと職員たちの日常をつぶさに見つめたドキュメンタリーだ。手がけたのは、中学2年生の1クラス35人全員に密着した「14歳の栞」(2021年)が評判を呼んだ竹林亮監督で、この作品もいまだに配信やDVDなどでは見ることができない。「大きな家」は、以前から児童養護施設と交流のあった俳優で映画監督の齊藤工が、旧知の間柄だった竹林監督の「14歳の栞」の制作姿勢にほれ込んで映画化を持ちかけたことから実現に結びついた。
なぜ劇場でしか上映しないのか。それは作品を見ればおのずと察しがつく。児童養護施設はさまざまな事情で家族と一緒に生活することが困難な子どもたちが住んでいるところで、中にはここにいることが知られるだけでも身の危険にさらされる恐れがある子もいるという。
映画では、大勢が共同生活を送る子どもたちの中のごく数人にスポットを当てている。7歳の女の子は撮影スタッフに対して屈託なく施設の中を案内しながら、「ここは家って言わない」など、ときどきドキッとするようなことを口にする。
年齢が上がって中学生くらいになると、勉強のこと、学校のこと、家族のこと、将来のことなど、いろんな悩みが増えてくる。でもそれって児童養護施設に暮らす子どもだからというのではなく、思春期のあらゆる子どもたちに共通の悩みなのではないか。そんなさまざまな疑問が、ナレーションや字幕で説明されることはないけれど、画面のそこかしこから投げかけられる。
やがて18歳になって自立する準備ができたら巣立っていかなくてはならない。「中には行方不明になったり警察の厄介になったりする者もいる」と実情を打ち明ける職員もいれば、最後に登場する19歳の青年は、大学に進学してスポーツ選手として活躍しつつ、今も何かにつけて施設を訪れては焼きそばをほおばる。小さい頃はものすごく暴力的で、「たたかない」という言葉を呪文のように唱えさせられたと告白するが、何ということもない会話を職員と交わす現在の姿を見ると、彼にとってここはまさに心が落ち着く自分の居場所であり、一緒に過ごした仲間や職員たちはかけがえのない存在だということが伝わってくる。
作品は、スポットを当てている何人かの子どもたちについても、その家庭環境や入居の経緯などは一切語られない。日本の児童養護施設の実態といったデータ的な部分も全く示されることはなく、ただただこの施設の普段の姿が生のままの形でごろんと投げ出されているだけだ。でも彼らの表情や行動を見るだけで、こういう施設がもっともっと必要だなということを実感するし、行政や政治に携わる人には、この作品をきっかけに社会的養護についてより理解を深めてもらいたいと思わずにはいられない。
実は産経新聞札幌支局に勤務していたとき、所属していた社会奉仕団体、札幌キワニスクラブの周年行事として、児童養護施設の子どもたちと北海道内のいくつかの工場を見学する企画を実施したことがある。初めての工場見学に子どもたちも楽しそうにしていたけれど、どうしてもこちら側としては、家族と一緒に暮らすことができないかわいそうな子という意識でひっくるめて接していたことは否めない。
でもこの映画を見ていると、当然のことながら彼らは一人一人に個性があり、それぞれの思いを抱きながら今を精いっぱい生きていることがわかる。それは竹林監督はじめ映画スタッフが1年半にわたり、子どもたちとじっくり交流を重ねてきたからこそ映り込んでいるものであり、何の色眼鏡も通さずに見つめてきた温かいまなざしの力強さをまざまざと示された気がした。
この作品に関しては、竹林監督のインタビュー記事をキネマ旬報に執筆している。発売中の2024年12月号に掲載されているが、竹林監督は撮影を進めるうちに、「出演している子どもたちが将来、この映画を見たときに、頭の中でポジティブなストーリーを描けるといいな」と思うようになっていったという。われわれとしては、そんな彼らの成長を決して邪魔してはいけないし、だからこそ映画館での視聴でなければならない。巻き戻しの利かない一期一会の映画体験から何を得るのか、見る者一人一人に突きつけられている。(藤井克郎)
2024年12月6日(金)、東京・ホワイトシネクイント、大阪・TOHOシネマズ梅田、名古屋・センチュリーシネマで先行公開後、20日(金)から全国で順次公開。
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竹林亮監督「大きな家」から ©CHOCOLATE
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