「国境ナイトクルージング」アンソニー・チェン監督

 今年2024年で25回目の開催となる「東京フィルメックス」には、アジアを中心とした刺激的な新作を紹介する上映プログラムのほかに、若手映画人に映画を学ぶ機会を提供する「タレンツ・トーキョー」という貴重な提携企画がある。アジア各国から選抜された監督やプロデューサーが映画祭の期間中、一流の講師陣にもまれて映画を完成させるためのノウハウを身につけるというもので、2010年から続けられている。当方も2014年に一度、参加者が映画化の構想を発表する公開授業をのぞいたことがあるが、全て英語で行われるプレゼンテーションでは他の受講者から鋭い質問や指摘が相次ぎ、プレゼンターがむきになって応じるなど激しいやり取りが印象的だった。

 修了生の中には、「ある男」(2022年)の石川慶監督や「PLAN75」(2022年)の早川千絵監督をはじめ、国際的に高い評価を受けている映画人も多い。11月23日から開かれる第25回東京フィルメックスのコンペティション部門上映作品10本のうち、4作品がタレンツ・トーキョー修了生の監督、プロデュース作品というから、この15年の成果は着実に実を結んでいると言えるだろう。中でも出世頭とも言える存在が、シンガポール出身のアンソニー・チェン監督ではないだろうか。

 初年度の2010年に参加したチェン監督は、タレンツ・トーキョーでプレゼンした企画を映画化した初長編「イロイロ ぬくもりの記憶」(2013年)がカンヌ国際映画祭の新人監督賞に当たるカメラドールを受賞するなど世界で大評判を取る。その後、トロント国際映画祭に選出された「熱帯雨」(2019年)などを経て、中国を舞台に初めての中国語作品に挑んだ新作が「国境ナイトクルージング」だ。

 舞台は北朝鮮との国境に近い中国東北部の都市、延吉。凍てつくような厳冬のこの街を友人の結婚式のために訪れた上海のエリート金融マン、ハオフォン(リウ・ハオラン/劉昊然)は、幸せそうな新郎新婦の笑顔を前にして気分が沈んでいくのを感じていた。披露宴の後、暇を持て余したハオフォンは観光ツアーに参加するが、病的なくらいに片時も手放せなかったスマートフォンを紛失してしまう。空元気を装うツアーガイドのナナ(チョウ・ドンユイ/周冬雨)に被害を訴えるも、埒が明かない。

 この何ともぶっきらぼうで乾いた感じの導入から、徐々に濃密でかけがえのない時間に推移していく展開が実にいとおしい。ナナは落ち込むハオフォンを夜の街に誘い、男友達のシャオ(チュー・チューシアオ/屈楚蕭)と合流して大いに飲み倒す。上海への飛行機に乗り遅れたハオフォンは、その後もナナ、シャオと3人でバイクやトラックなどを乗り回し、テーマパークや屋台街を渡り歩く。せりふは表層的なものばかりで、3人のバックボーンや現在の生活に関しては最低限の情報しか示されないものの、その何気ない会話の端々やふと見せる表情などから、3人ともどこか胸の内に空虚さを抱え持っていることがうかがえる。そんな3人の孤独な心を、酷寒の延吉の街を背景に、どこか寂しげながらも温かみのある映像で浮かび上がらせていく巧みな手法に震えた。

 やがて3人は北朝鮮との国境に位置する長白山の天池という湖に向かおうとする。車では途中までしか進むことができず、雪深い山道を3人は黙々と歩いてゆく。まるでこの世の果てのような辺境をさまよう姿に、現代の若者が抱える寂しさ、虚しさが色濃くにじむ。南国の都市国家であるシンガポール育ちのチェン監督が、こんな大自然の真冬の絶景を心象風景として描き切っていることに改めて驚嘆するとともに、情報過多の社会を生きることの言い知れぬ苦悩が果たして癒やされたのかどうか、余韻の残るエンディングにいつまでも浸っていたい思いに駆られた。

 チェン監督には、「イロイロ ぬくもりの記憶」の公開を控えた2014年10月に来日した際、インタビュー取材をする機会を得た。この長編デビュー作は、自らの幼少期の思い出をベースに、シンガポールの中国系少年とフィリピンからの出稼ぎ家政婦との心の交流を紡いだ作品だったが、「国も小さく、国際的に知られていないシンガポールの文脈だけでは限度がある。より広い視野で撮ってみたいという意欲はあります」と漏らしていた。

「映画はグローバルなものだから、より普遍性のある監督を目指したい。へえ、あの監督ってシンガポール人だったんだ、と思われるようになりたいですね」とも語っていたが、その目標はもう十分に達成したんじゃないかな。(藤井克郎)

 2024年10月18日(金)、東京・新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町など全国で公開。

© 2023 CANOPY PICTURES & HUACE PICTURES

アンソニー・チェン監督の中国、シンガポール合作「国境ナイトクルージング」から。ハオフォン(左、リウ・ハオラン)、ナナ(中央、チョウ・ドンユイ)、シャオ(チュー・チューシアオ)の空虚な心が交錯する © 2023 CANOPY PICTURES & HUACE PICTURES

アンソニー・チェン監督の中国、シンガポール合作「国境ナイトクルージング」から。雪深い長白山に分け入った3人は…… © 2023 CANOPY PICTURES & HUACE PICTURES