「関心領域」ジョナサン・グレイザー監督

　アカデミー賞の数あるカテゴリーの中でも素人がおいそれとは判断できない最たるものが音響賞ではないだろうか。以前は音響編集賞と録音賞に分かれていてもっとややこしかったが、一つになったとは言え、なじみが薄いのには変わりがない。たまにせりふが何て言っているのかさっぱり聞き取れないというひどい映画に出くわすこともあるが、無声映画でない限り、音声は普通にあって当たり前で、その優劣なんて果たして決められるものなんだろうかと疑問に感じていた。

　ところがどっこい、「関心領域」に出合ってしまった。今年2024年のアカデミー賞で国際長編映画賞とともに音響賞を獲得したのも当然と言うか、これが受賞せずして何が音響賞だというくらいの驚くべき作品で、なるほど映画は音声でも映像以上に雄弁に表現できる芸術形態であるということをまざまざと見せつけてくれた。

　舞台はナチスドイツがユダヤ人を虐殺したホロコーストで悪名高い第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ強制収容所。ではなく、アウシュヴィッツ強制収容所を取り囲む「関心領域（The Zone of Interest）」と呼ばれる地域だ。ここの大邸宅に住まう収容所長のルドルフ・ヘス（クリスティアン・フリーデル）は、妻のヘートヴィヒ（ザンドラ・ヒュラー）や子どもたちと優雅で贅沢な暮らしを送っていた。

　映画は、このヘス一家の何とものんびりとした日常を中心に紡いでいく。子どもたちはプールで歓声を上げ、ナチス幹部らが夜な夜なパーティーに興じる。妻のヘートヴィヒに至っては「またイタリア旅行に行きたいわ」と夫におねだりするなど、スクリーン上の映像からはここが世界で最も凄惨な殺戮が行われている場所だとはうかがい知れない。

　だがこの能天気な風景の裏では常にゴーッと低く響く雑音が鳴りっぱなしで、鳥のさえずりや犬の鳴き声に交じって、ときどき大きな怒鳴り声や乾いた銃声も聞こえてくる。ヘートヴィヒの年老いた母親が訪ねてきて殺風景な部屋に寝泊まりするが、常に聞こえてくる重低音のせいか、あまりよく眠れない。そう、この邸宅から塀を隔てただけのお隣はアウシュヴィッツ強制収容所で、毎日おびただしい数のユダヤ人がガス室に送られているのだ。

　この映画のすごいところは、塀の向こうの収容所内部の映像は一切見せないことだ。ときどき夜の暗闇の中を少女が抜け出していく様子が赤外線カメラのような映像で映し出されるが、これなども特に説明的な描写があるわけではなく、見る側が勝手に想像を巡らせるしかない。その唯一の手掛かりが音声であり、しかも歴史上、アウシュヴィッツで何が起きていたのかは世界中のほとんどの人が知っているから、収容所内の情景はいやが応でも脳裏に浮かんでくる。

　この見せないのに見えるという映画の魔術から浮き彫りになるのは、加害者と被害者の意識にはこんなにも違いがあるという戦争の非道ぶりだ。これは決してナチスだけのことではなく、ウクライナやパレスチナなど今も世界中で起きている戦争の影には、ニュースで報じられる悲劇の数々と同じくらい、ヘス一家のようなのほほんとした人々がいるという事実を突きつけてくる。

　ロンドン生まれのジョナサン・グレイザー監督はユダヤ系イギリス人だが、アカデミー賞の受賞スピーチでは「私たちが選択したのは、過去に彼らが何をしたかではなく、私たちが今、何をするかに目を向けさせることだった」とした上で、ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃に関して「多くの無実の人々を紛争に巻き込んだ占領によってユダヤ人であることやホロコーストが乗っ取られたことに反論する」と明言。ハリウッドを二分するほどの論争に発展したらしい。

　ただ監督が何を語ろうが語るまいが、映画をどう受け止めるかは見る側に委ねられている。そのことを一番よくわかっているのは、こんなにも想像力を喚起させる作風を貫いたグレイザー監督自身であることは間違いない。（藤井克郎）

　2024年5月24日（金）から東京・新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテなど全国で公開。

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アメリカ、イギリス、ポーランド合作のジョナサン・グレイザー監督作品「関心領域」から。アウシュヴィッツ強制収容所のヘス所長の邸宅ではのんびりとした日常が繰り広げられていた　©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

アメリカ、イギリス、ポーランド合作のジョナサン・グレイザー監督作品「関心領域」から。壁の向こうのアウシュヴィッツ強制収容所では……　©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.