「ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー」ニナ・メンケス監督
ニナ・メンケスなるアメリカの映画監督のことは、これまで寡聞にして知らなかった。プレス資料によると、商業主義とは一線を画した妥協のない映画づくりを続けている女性監督で、ニューヨーク・タイムズからは「映画の魔女」と呼ばれているらしい。手がけた作品数もそう多くはなく、フィルモグラフィーを見ると、1983年の中編「ゾハラの深い悲しみ」以降8作品しか発表していない。
そのうちの3作品が、特集上映企画「ニナ・メンケスの世界」として日本で初めて公開される。3本とも試写会で見せてもらったが、いやあ、すんげえ映画に出合ってしまったな、というのが正直な気持ちだ。中でも最新作となる2022年のドキュメンタリー「ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー」は、映画に携わっている者ならすべからく見るべきだろう。それくらい深くて濃い、目からうろこの映画論映画だった。
作品は、メンケス監督がどこぞのスタジオで若者相手に講義をする授業風景をメインにしている。名作から最新作までおびただしい数の映画の断片を見せながら、監督がそれぞれの視覚言語について解説していくというスタイルで、これに映画研究者や映画監督らへのインタビュー映像が絡む。その内容はというと、映画は古今、男性のまなざしで描き継がれてきて、今もその紋切り型の偏った視覚言語に支配されているというものだ。
などと言うと、フェミニズムに立脚したお堅い教条主義的な作品と思われる向きもあるかもしれない。確かに映画業界の旧態依然とした男性優位主義、女性への差別や偏見に満ちた現状に対する告発という要素も含んではいる。でもこのドキュメンタリーは、とにかく文句なしに面白いのだ。そしてなぜこんなにも面白いかに気づいてはっとさせられる。映画が男性のまなざしで撮られているということについて、今まで意識などしたことがなかったからだ、と。
メンケス監督によると、例えば裸体を捉えたショットに関しても、女性対象と男性対象とでは撮り方に違いがある。女性の場合はパンやズームを多用して、肉体の特定の部分に視点を誘導するように撮影する場合が多いのに対し、男性の裸体はむしろボディー全体を映し出し、筋骨隆々とした力強さを見せつけるパターンが目立つという。どちらもまさに「男性のまなざし」にほかならない。
ほかにも照明の当て方、フレーミング、音楽のかぶせ方など、さまざまな「男性のまなざし」の具体的なシーンを、フリッツ・ラングにアルフレッド・ヒッチコック、マーティン・スコセッシ、ジャン=リュック・ゴダールといった古今の名匠、巨匠の作品からとっかえひっかえ引っ張ってきて事細かに検証してみせる。俎上に載せるのは何も男性監督の作品ばかりとは限らない。キャスリン・ビグロー監督の「ハート・ロッカー」(2008年)やソフィア・コッポラ監督の「ロスト・イン・トランスレーション」(2003年)といった傑作の誉れ高い女性監督作品も「男性のまなざし」に縛られているとの指摘は、なるほどな、とうなずくばかりだ。
映画はさらに、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる性加害事件をはじめとする映画業界における性搾取の実態に言及。現実の社会で性暴力、性虐待が後を絶たないのも映画の「男性のまなざし」が影響しているという論考は、いささか強引ではないかとも思うが、でも名作、駄作を取り混ぜてこんなにもたくさんの男性主体の視覚言語を見せつけられると、確かに、と思わざるを得ない。
一方で、「男性のまなざし」ではなく客観的に撮られていても、決して芸術性を損なわず、エンターテインメントとして豊かな表現力を発揮することは可能だという例も列挙する。セックスシーンも一概に否定しているわけではなく、ガス・ヴァン・サント監督作品などを例に、主体、客体の別なく描写しても情感たっぷりに性愛の表現はできると強調。こうやって断片映像を一つ一つ丁寧に並べて比較、実証してくれると、自分は今まで映画の何を見てきたんだろうと不明を恥じると同時に、多くの作品に存在するカメラの向こうの無自覚な悪意が透けてきて、そら恐ろしくなった。
じゃあ、当のメンケス監督自身はどんなまなざしで映画を撮ってきたのか。と思って今回の特集で上映される「マグダレーナ・ヴィラガ」(1986年)と「クイーン・オブ・ダイヤモンド」(1991年)を見たが、どちらも革新的な視覚言語で表現されていて、「魔女」という言葉が不適切なら「映画の魔術師」と言っていいかもしれないと感じた。
特に長編デビュー作の「マグダレーナ・ヴィラガ」は主人公が娼婦で、男を次々と部屋に連れ込んでセックスに応じる。当然ながらセックスシーンもあるのだが、全く扇情的な描写ではなく、彼女の心の空虚さを象徴するように撮られている。演じるのがメンケス監督の実の妹のティンカ・メンケスで、無機的な表情もまたいい味を出しているんだよね。彼女は「クイーン・オブ・ダイヤモンド」でも主役を演じているが、カジノのディーラーとして延々とカードさばきを繰り返す気の遠くなるようなシーンは、表情の無変化ぶりも相まって、一種のトリップ感にいざなわれる。ホント、すんげえものを見せつけてもらった。
ところで「ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー」には、映画研究者、フェミニストの理論家など多様な識者のインタビュー映像が登場するが、「デブラ・ウィンガーを探して」(2002年)の監督としても知られる女優のロザンナ・アークエットや「17歳の瞳に映る世界」(2020年)などのエリザ・ヒットマン監督らとともに、ジュリー・ダッシュ監督の顔もあった。ダッシュ監督は1991年、「自由への旅立ち」が黒人女性監督の作品としては初めて全米で公開。1993年9月にはカネボウ国際女性映画週間で日本でも上映され、来日したダッシュ監督にインタビュー取材をする機会に恵まれた。
当時は「海から来た娘たち」というタイトルで、まだ日本での劇場公開は決まっておらず、その後も公式に公開されたという記録はない。およそ100年前のジョージア、サウスカロライナ両州沖に浮かぶシー諸島を舞台に、西アフリカからアメリカに連れてこられた女性たちの文化と生活をしっとりと見つめた作品で、ダッシュ監督は「自分のアフリカンアメリカンとしてのイメージを再確認したかった」と語っていた。
「ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー」を見ると現在も意気軒昂そうで、ちょっと調べてみたら、その後もテレビ映画中心ながらたくさんの作品を監督している。恐らく「自由への旅立ち」を含めて日本では1本も劇場公開されたことがなく、次はぜひ「ジュリー・ダッシュの世界」として特集上映を企画してもらいたいものだ。(藤井克郎)
「ニナ・メンケスの世界」は5月10日(金)から、東京・ヒューマントラストシネマ渋谷など全国で順次開催。
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ニナ・メンケス監督作品「ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー」から © BRAINWASHEDMOVIE LLC
ニナ・メンケス監督作品「ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー」から © BRAINWASHEDMOVIE LLC