「月」石井裕也監督
2022年6月に急逝した映画プロデューサーの河村光庸さんには、残念ながら一度もお目にかかる機会がなかった。キネマ旬報ベスト・テンの1位になった「かぞくのくに」(2012年、ヤン・ヨンヒ監督)をはじめ、「あゝ、荒野」(2017年、岸善幸監督)、「新聞記者」(2019年、藤井道人監督)、「i-新聞記者ドキュメント-」(2019年、森達也監督)、「パンケーキを毒見する」(2021年、内山雄人監督)、「空白」(2021年、吉田恵輔監督)など、フィクション、ノンフィクションに関わらず社会に鋭く切り込んだ話題作を精力的に送り出していて、同郷の福井県出身ということもあって最近では最も気になる映画人の一人だった。
亡くなった後も河村さんプロデュースの企画が次々と完成していて、すでに「ヴィレッジ」(2023年、藤井道人監督)、「妖怪の孫」(2023年、内山雄人監督)が劇場公開されている。どちらも思いっきり刺激的な作品だったが、今度の「月」もまた、というかもうこれ以上ないくらいの衝撃作で、先鋭的な映像技法も相まって日本映画史にその名を刻む大傑作と言えるのではないかとさえ感じた。
原作は2016年に神奈川県相模原市で起きた障害者施設殺傷事件に想を得た辺見庸の同名小説で、「舟を編む」(2013年)や「ぼくたちの家族」(2014年)、「茜色に焼かれる」(2021年)など幅広い作風で高く評価される石井裕也監督がメガホンを取った。
人気作家だった堂島洋子(宮沢りえ)は、人形アニメーションを手がける夫、昌平(オダギリジョー)の活動を支えたいと、重度障害者施設の三日月園で働くことにする。深い森の奥に隔離されたように建つ三日月園は昼でも薄暗く、洋子は作家を目指している坪内陽子(二階堂ふみ)や、絵が得意なさとくん(磯村勇斗)ら若い職員と親しくなる一方、中には日常的に入所者への嫌がらせを行っている者もいた。やがて彼女は、自分と生年月日が同じで、日の差し込まない部屋でベッドに寝たきりのままのきーちゃんのことが気になっていく。
映画は、障害者介護の現状を冷徹に見つめながら、洋子と昌平夫婦の再生の物語になっており、命の尊厳、生きることの意味といった深いテーマも内包している。そのテーマを掘り下げる部分で、三日月園の極めてリアルな描写が印象深い。きーちゃんら一部の入所者以外は、恐らく実際に障害のある人たちが出演していて、ごくごく日常の表情、行動をカメラの前にさらし出す。こういったぎりぎりを攻める映画によくぞ協力したものだと思うし、だからこそこの映画には嘘のない、のっぴきならない日本の介護の現実が映り込んでいると言えるかもしれない。
さらに映画としての深みとして、オダギリジョー演じる夫の昌平が創作する人形アニメーションの映像もきちんと作り込んでいるというのが素晴らしい。人形を少しずつ動かして一コマ一コマ撮影するストップモーション・アニメーションは非常に手間がかかるが、劇中劇の作品にもかかわらず、手を抜かないでちゃんと見せ切っていて、しかもこのアニメーションに登場する海賊たちの顔がみんなのっぺりしているというのも意味があり、映画のストーリーに絡んでくる。磯村勇斗のさとくんが得意の絵を生かして作る紙芝居が「花咲かじいさん」というのも、示唆に富んでいてぞくぞくした。
ほかにもさとくんの恋人は耳が聞こえなかったり、洋子夫婦は障害児だった息子を亡くしていたり、二階堂ふみの陽子の両親は娘に抑圧を強いていたり、誰もがどこかに普通ではない状況を抱えている。だが普通というのはいったい何なのか。昌平がアルバイトをしているマンション管理人の先輩のように偏見で凝り固まっている人たちは、果たして普通と言えるのか。
昼間の空に浮かぶ三日月などの映像表現が、そんな作り手の真剣な問いかけを象徴していて、石井監督の豊かな感性に改めて感じ入った。と同時に、反骨精神にあふれた河村プロデューサーの攻めの遺伝子が確実に次の世代に受け継がれていることがわかって、何ともうれしくなった。(藤井克郎)
2023年10月13日(金)、東京・新宿バルト9、ユーロスペースなど全国で公開。
©2023『月』製作委員会
石井裕也監督作品「月」から。元人気作家の洋子(宮沢りえ)は、重度障害者施設で働くことにする ©2023『月』製作委員会
石井裕也監督作品「月」から。重度障害者施設で働き始めた洋子(左、宮沢りえ)は、作家を目指す陽子(二階堂ふみ)と親しくなるが…… ©2023『月』製作委員会