「トリとロキタ」ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督

 ベルギーのジャン=ピエールとリュックのダルデンヌ兄弟には、ちょっと後ろめたい思い出がある。1997年の3月に「イゴールの約束」(1996年)で2人が来日したとき、インタビュー取材の機会に恵まれたのだが、その後、当方は4月下旬に産経新聞の社内留学制度で米ロサンゼルスに旅立った。映画は5月の公開だったので、それまでには載せてほしいとデスクに原稿を預けていたが、どうも掲載された形跡がない。ほかにもそんな原稿が何本かあったと記憶するが、初めての海外生活がスタートしたばかりで余裕がなく、しかもメールなどインターネットでのやり取りもしていない時代だ。時差のある中、電話で連絡するのも一苦労で、恐らくボツにされてしまったような気がする。

 その後、2015年3月に「サンドラの週末」(2014年)で7度目の来日をしたときに再びインタビューすることができたが、その際、世界で初めて自作を買いつけてくれたのが日本で、その作品が「イゴールの約束」だったと打ち明けていた。「いろんな出発点となった作品だった」とも語っていたが、記事化されなかったのは本当に残念だし、誠に申し訳なく思っている。

 2人は「イゴールの約束」以後、「ロゼッタ」(1999年)と「ある子供」(2005年)でカンヌ国際映画祭の最高賞、パルムドールを受賞するなど、今や押しも押されもせぬ世界の巨匠となったが、一貫しているのは常に弱者の目線で社会を見つめる姿勢だ。今度の新作「トリとロキタ」はアフリカ移民の子どもたちが主人公で、テーマはアフリカ出身の不法労働者家族と少年との交流を題材にした「イゴールの約束」とも重なる。

 ベルギーで姉弟として身を寄せ合って生きている10代後半のロキタ(ジョエリー・ムブンドゥ)と少年のトリ(パブロ・シルズ)は、実は出身地はカメルーン、ベナンと別々で、ヨーロッパへ渡ってくる途中に出会った。祖国で虐待を受けていたトリは難民に認定され、ビザも支給されているが、ロキタは不法滞在という立場のままで、移民局の審査でいくら「トリは弟だ」と主張してもなかなかビザが下りない。

 2人は街のレストランのシェフが仕切る麻薬の運び屋をして生計を立てているが、ロキタは祖国で暮らす家族に仕送りをしなければならない。やっとたまった現金は密航を手配してくれたブローカーにかすめ取られ、どうしてもお金がほしいロキタは、密閉された部屋で長期間、一人で大麻を栽培するという危険なアルバイトを請け負うことにする。誰にも連絡するなと携帯電話のSIMカードを預けられたロキタだが、トリと話ができないことが彼女を追い詰めていく。

 といったのっぴきならない2人の状況が、いかにも危うげな視点でつづられていく。甘美な音楽など一切流れず、2人の耳に飛び込んでくるのは、ただただ荒々しい言葉だけ。唯一の慰めは、2人が避難途上のイタリアで覚えたという物悲しいネズミの歌で、2人で声を合わせて口ずさむことが心のよりどころになっている。

 とにかくここに描かれているのは絶望しかなく、もう前半から不穏な空気がばんばん漂う。何か希望の光が差し込むとか、どこかで救いの手が差し伸べられるとか、そんな淡い期待はみじんも感じられない。こうして怒涛の結末に向けて突き進んでいく。

 ダルデンヌ兄弟はなぜこんなに何度も何度も、絶望的な側面ばかり活写するのか。それはとりもなおさず、この世の中がいつまでたっても弱者に優しい社会になっていないという証しだろう。世の中には搾取する側と搾取される側がいて、搾取される側の中でもよりしたたかな者が、もっと下から搾取する。こうして最下層に位置付けられた人々は、負の連鎖からどうやっても抜け出すことができない。移民に対して同情を寄せるだけではどうにもならないし、彼らも同情する側の思惑通りに行動するとは限らない。決して答えの出ない厳しくもやるせない問いかけが、画面の端々から力強く発せられる。

 この映画がベルギーの実態を反映しているのだとすれば、じゃあ日本では果たしてどうなのか。少なくともこれよりもましな状況だとは到底思えないし、ある意味、ダルデンヌ監督の問いは、全世界に向けて発せられていると言っていいだろう。「イゴールの約束」から27年、いまだに同じようなテーマで映画を作らなければならない現実を最も嘆いているのは、ダルデンヌ兄弟自身かもしれない。(藤井克郎)

 2023年3月31日(金)から、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントなど全国で順次公開。

©LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINÉMA – VOO et Be tv – PROXIMUS – RTBF(Télévision belge) Photos ©Christine Plenus

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督のベルギー、フランス合作「トリとロキタ」から。トリ(右、パブロ・シルズ)とロキタ(ジョエリー・ムブンドゥ)は、互いに寄り添って困難に立ち向かおうとしていた ©LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINÉMA – VOO et Be tv – PROXIMUS – RTBF(Télévision belge) Photos ©Christine Plenus

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督のベルギー、フランス合作「トリとロキタ」から。2人で歌を口ずさむときだけが、トリ(左、パブロ・シルズ)とロキタ(ジョエリー・ムブンドゥ)の安らぎの時間だった ©LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINÉMA – VOO et Be tv – PROXIMUS – RTBF(Télévision belge) Photos ©Christine Plenus