「ドリーム・ホース」ユーロス・リン監督

 競馬はそれほど詳しくはない。馬券を買っても勝ったためしがないくらいだが、競走馬の生産牧場や厩舎は何度か取材で訪れたことがある。

 中でも忘れられないのが、1994年から2年間かけて戦後50年を振り返った産経新聞の連載企画「戦後史開封」で、競馬のテーマを担当したときのことだ。日本中央競馬会の美浦(茨城県)、栗東(滋賀県)両トレーニング・センターをはじめ、北海道の日高地方を中心に馬産地にも出張して回った。戦後初めてクラシック三冠馬になったシンザンや、流行歌にもなった超人気馬のハイセイコーもまだ存命で、同行したカメラマンに撮ってもらったハイセイコーとのツーショット写真は、今も大切に保管してある。

 取材をして感じたのは、競馬は単なるギャンブルではなく、ドラマチックなストーリーをはらんだ思いっきり情緒的な世界だということだ。ハイセイコーにしても、仔馬のころから飛び抜けた能力がありながら、母馬の関係で中央ではなく地方競馬でデビュー。連戦連勝を重ね、中央競馬入り後も無敵を誇ったが、日本ダービーで思わぬ伏兵のタケホープに敗れる。以後、この2頭はライバルとして競馬人気を牽引するが、引退後は種牡馬として何頭もの駿馬を世に送り出したハイセイコーに対し、産駒に恵まれなかったタケホープは忘れられた存在になった。などなど、競馬は物言わぬ動物ではあるけれど、だからこその感動の秘話がある。

 イギリス映画の「ドリーム・ホース」も、競走馬を巡る実話が基になっている。

 舞台はウェールズのとある田舎の村。ジャン(トニ・コレット)は、無職の夫(オーウェン・ティール)をパートの掛け持ちで支えつつ、離れて暮らす両親(アラン・デヴィッド、リンダ・バロン)の介護にも追われる毎日だった。単調で刺激のない日々にうんざりしていたある日、パート先のナイトクラブに客として来ていた税理士のハワード(ダミアン・ルイス)が、かつて競走馬を所有していたことを自慢げに話しているのを耳にする。若いころ、ドッグレースや鳩レースに夢中になったことのあるジャンは、きっと日常にときめきをもたらすはず、と競走馬を飼うことを思い立つ。

 本を読んで研究を重ねたジャンは、まず貯金をはたいて母馬となる牝馬を購入。村の人たちに声をかけ、一人週10ポンドずつの出資で組合を結成し、その資金で種付けをして生まれた仔馬はドリームアライアンス(夢の同盟)と名付けられ……、といった展開は、実際に2001年にウェールズのクブン・フォレストという小さな村で本当にあった話だそうだ。馬名もその後の活躍もそっくりそのままで、イギリスではニュースやドキュメンタリー映画などでよく知られているようだが、これを劇映画にするというのは、またかなりの苦労があったに違いない。

 何しろこのドリームアライアンス、鼻筋に白い線が通って、脚は四本とも白いソックスを履いたような、いわゆる四白流星という特徴がある馬で、それを生まれたばかりのころから見る見る育っていって、レースで活躍したかと思うと大きなけがをして、というところまで再現している。仔馬から若駒、古馬と同じような特徴のあるサラブレッドをそろえたのか、はたまた特殊メイクなりVFX(視覚効果)なりで加工したのか、映画ではまるで同じ1頭の馬がずっと走っているようにしか見えない。

 しかもこの馬が得意にしていたのは障害レースで、何頭もの競走馬がハードルを飛び越える迫力を表現するには、カメラワークは相当に大変だったはずだ。それが全く違和感なく見えるどころか、日本だと重賞レース並みの本格的な競馬の躍動感がひしひしと伝わってくるんだから、作り手の意気込みのほどがうかがい知れる。

 醍醐味は競馬シーンにとどまらない。舞台となっているウェールズの文化、風土もたっぷりと描き込まれていて、村人たちがウェールズの国歌を声高らかに歌う場面など、連合王国を構成する国の一つだというウェールズへの誇り、アイデンティティーが強く打ち出されている。なんてことのない田舎の風景も含めて、ウェールズ出身のユーロス・リン監督の郷土愛が強く感じられる。

 で、ここが肝心なのだが、この映画は決して競馬の魅力を届けるのが目的ではない。競馬はあくまでも一つのたとえであって、ちょっとした勇気があれば、誰だってわくわくするようなときめきを手にすることができるんだよ、というのが、この映画のメッセージなのではないか。

 現状にくすぶっていたのは、何もジャンだけではない。気楽そうに見える無職の夫も、嫌みったらしい税理士のハワードも、飲んだくれのじいさんも精肉店のおばちゃんも、ドリームアライアンスのおかげで、ただパブで愚痴をこぼすしかなかった生活に潤いが生じた。みんなでビリヤード台を囲んで、ああだこうだと議論を交わし、大勢で競馬場に押しかけて、馬主バッジを見せて堂々と入場する。そんなささやかな非日常が、代わり映えのしない生き方から身も心も解放してくれるんだという作り手の信念が、深く心に染み入った。

 毎週10ポンド(現在の相場だと約1600円)でときめきが買えるというのは、果たして安いのか高いのか。うーん、やっぱりちょっと勇気がいるかもね。(藤井克郎)

 2023年1月6日(金)から東京・新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町など全国で公開。

© 2020 DREAM HORSE FILMS LIMITED AND CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION

イギリス映画「ドリーム・ホース」から。ウェールズの小さな村の住民が共同で馬主になった競走馬が奇跡を起こす © 2020 DREAM HORSE FILMS LIMITED AND CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION

イギリス映画「ドリーム・ホース」から。主婦のジャン(トニ・コレット)は、競走馬の馬主になることを思い立つが…… © 2020 DREAM HORSE FILMS LIMITED AND CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION