「サハラのカフェのマリカ」ハッセン・フェルハーニ監督

 一口にドキュメンタリー映画と言っても、本当にいろんなタイプがある。記録映像を駆使したものもあれば、インタビューでつないでいくもの、政治や社会を告発するものと、実に多種多様だ。フィクションとの境界が曖昧なものも多いが、北アフリカはアルジェリアで撮影された「サハラのカフェのマリカ」も、果たしてこれをドキュメンタリーという枠に押し込めていいものかどうか。作り手の創造性が全面的に発揮された作品で、ものすごくまったりとした気分にさせられながらも大いに刺激的という稀有な感覚を味わった。

 舞台はサハラ砂漠を突っ切る街道沿いにぽつんとたたずむ1軒のお店。ここに1人で暮らしながら店を切り盛りするマリカばあちゃんの日常をただただ見つめる、というのがこの作品だ。

 見渡す限りの砂漠の中、たった一人で生活しているとは言え、マリカばあちゃんはちっとも寂しそうではない。猫のミミと犬2匹も一緒だし、昼間は街道をひっきりなしに自動車が通り、常連のトラックドライバーや近所(と言ってもかなり離れているんだろうけど)の人たち、それに通りがかりの観光客なんかがやってきて、コーヒーをすすりながらマリカばあちゃんととりとめのない会話を交わす。鉄格子入りの窓を使ってマリカばあちゃんと刑務所ごっこに興じる男性もいれば、楽団員たちは楽器や歌でにぎやかに音楽を奏でる。1人で颯爽とオートバイをかっ飛ばしてやってきた白人の女性ライダーについては、「ああいう人はこの辺りにはいないわ」とつぶやくし、2人組の男が帰った後、露骨に「あいつらは嘘つきだ」と嫌な顔をするなど、ばあちゃんのリアクションもなかなかに楽しい。

 そんな自然な情景を、1986年生まれのアルジェリアの映画作家、ハッセン・フェルハーニ監督は、余計な口を挟むことなく、じっとカメラでのぞき続ける。決して黙っているというわけではなく、マリカばあちゃんから問いかけられるときもあるし、訪問者とも受け答えする。でもその立ち位置はあくまでも風景の一部であり、自身の影さえも作品の中で見せることはない。個性あふれるマリカばあちゃんにただ寄り添い、自由で雄弁な人柄を余すところなく映し出す。

 やがて、ばあちゃんは1994年からこの店をやっていて、ときどき大きな街に買い物に行くくらいでほとんど出かけることがないこと、結婚をしたこともなければ子どももいないこと、ときどき甥らしき人物がやってきて、街に住もうと誘ってくれるものの、本人は1人暮らしをやめるつもりはないこと、といった身の上が少しずつ明らかになっていく。それも本人があえて説明するのではなく、客との会話から何となく浮かび上がってくるというのがすてきだ。大砂漠のど真ん中で25年間、1人で生きてきた女性の物語が、こういう何気ない会話形式で紡がれていくというのは感慨深いし、それができるのが映画というものの魔法なんだよね。

 作品の最後、永遠に変わらないと思われていた砂漠の風景に、ある変化が訪れる。その事件のせいで、お店の常連はマリカばあちゃんのことを心配するんだけど、当の本人はどこ吹く風。相も変らぬシニカルな笑みを浮かべてカメラの前にたたずむ。ああ、何だかいいものを見せてもらったな。そんなふうに思えるドキュメンタリーがあっても、全然いいよね。(藤井克郎)

 2022年8月26日(金)からヒューマントラスト渋谷など全国で順次公開。

© 143 rue du désert Hassen Ferhani Centrale Électrique -Allers Retours Films

アルジェリア、フランス、カタール合作のハッセン・フェルハーニ監督作品「サハラのカフェのマリカ」から。砂漠の店を1人で切り盛りするマリカばあちゃん © 143 rue du désert Hassen Ferhani Centrale Électrique -Allers Retours Films

アルジェリア、フランス、カタール合作のハッセン・フェルハーニ監督作品「サハラのカフェのマリカ」から。マリカばあちゃんの店は砂漠のど真ん中にたたずむ © 143 rue du désert Hassen Ferhani Centrale Électrique -Allers Retours Films