「夜を走る」佐向大監督
とにかく思いも寄らない展開になる映画に出くわしたときほど、心躍ることはない。主人公だった人物が途中でいなくなるとか、会話の相手は実はもう死んでいる人だとか、いい意味で予想を大きく裏切られる体験をするたびに、だからこそ映画なんだよなあ、との感慨を強くする。
中でも前半と後半でがらりと雰囲気が変わる醍醐味はたまらない。例えばロバート・ロドリゲス監督の「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(1996年)なんて、最初は「明日に向って撃て!」(1969年、ジョージ・ロイ・ヒル監督)か「俺たちに明日はない」(1967年、アーサー・ペン監督)のようなスタイリッシュな犯罪映画かと思って見ていたら、日が暮れた途端、雰囲気どころかまるで違うジャンルの映画になって、びっくらこいたものだ。今は亡き丸の内ルーブルでの試写会で見たんだけど、こういう興奮は事前に何の予備知識もなく見るからこそ得られるもので、だからレビューを書くときも心してかかる必要がある。
佐向大監督の「夜を走る」も、途中でコペルニクス的転回が起こる衝撃作で、大いに楽しませてもらった。
時代背景は恐らくコロナ禍が収まったころなのだろう。郊外の鉄くず工場に勤める秋本(足立智充)は、もう誰もマスクをしていない中、一人マスクを外さずに、カーラジオで気象通報を流しながら営業して回っている。くそのつくような真面目人間で、誰に対しても優しいが、仕事の要領は悪く、いつも上司の本郷(高橋努)には怒鳴られっぱなし。恋人も友人もいない秋本に声をかける同僚は、ちょっと年下の谷口(玉置玲央)だけだが、妻(菜葉菜)がいる上に浮気もしているなど、世渡り上手の谷口が秋本のことをどう思っているのかは判然としない。
そんなある日、工場に産廃業者の新入社員、理沙(玉井らん)が営業にやってくる。応対した本郷に酒を飲まされた理沙は深夜、駅前で秋本と谷口にばったり行き会い、飲み直そうと誘われる。谷口は、女っ気のない秋本に何とか理沙を口説かせようと仕向けるが、酔いの回った理沙は……。
と、ここから物語は急展開。それまでと全く毛色の違った描写が連続するのだが、ここでは多くを語るまい。秋本の人格も映画そのものもまるで別次元に飛躍していくさまを、ただただ呆然と眺めているだけで楽しいし、同時に演出や撮影でいろんな創意工夫が施されていて、その妙味にどっぷりと漬かるのも心地よい。
まずもって画期的なのは、あの晩、秋本たちの身に何が起きたのか、全くつまびらかにしないということだ。映画を見ているうちに何となくは分かってくるのだが、具体的なことは最後まで明かさないし、そのことがきっかけで秋本は別次元に飛んでいってしまうわけで、なるほど、こんなふうに見せない表現もありなのかと感心させられる。
秋本を演じる足立智充の大転換も相当なものだ。パク・チャヌク監督の「お嬢さん」(2016年)や是枝裕和監督の「万引き家族」(2018年)など、これまで数多くの映画に出演しているが、失礼ながらあまり印象にないというか、言うなれば影が薄い。前半の実直で優しいだけが取り柄という秋本はまさにどんぴしゃりの役柄なんだけど、これがものの見事に別人格に開眼するから、いや、本物の役者はすごいわ。お見それしました。
撮影も、派手さはないが、手持ちの長回し映像がじんわりと染み込んできて、興趣が尽きない。秋本が全速力で階段を上っていく後ろ姿をぴたっと追走するスリリングな絵づくりも見ものだが、単に車のハンドルを握っている横顔を延々と捉えるだけのショットに、どうしてこんなにも心をかき乱されるのか。「VIDEOPHOBIA」(2020年、宮崎大祐監督)などの若手カメラマン、渡邉寿岳の卓越したセンスが光る。
そして何と言っても佐向監督だ。学生時代に友人たちと作った自主映画で評判を取る一方、映画配給会社に入社して、宣伝をやりながら映写機を回したり脚本を手がけたりと、映画に関するあらゆる仕事をこなしてきたキャリアが見事に開花した。
前作「教誨師」(2018年)では生と死について深く掘り下げたが、今回はコロナ禍でより一層顕著になった現代社会の行き詰まり感を大胆に表現。単調な重労働を繰り返す鉄くず工場は日本の縮図でもあり、ほとんどの従業員が不満を抱きつつ変化できない中、一人秋本だけは違う次元に飛んでいく。果たしてわれわれは、この出口の見えない不安な毎日をどう生きていけばいいのか。
そんな重いテーマを、コメディーやミステリーなどさまざまな娯楽要素を伴って突きつけてくる。単に見た目の驚かしだけではない、ということに気づいて、ますます映画の奥深さを思い知った。(藤井克郎)
2022年5月13日(金)からテアトル新宿、27日(金)からユーロスペースなど、全国で順次公開。
©2021『夜を走る』製作委員会
佐向大監督「夜を走る」から。鉄くず工場に勤める秋本(左、足立智充)と谷口(玉置玲央)は、ある日を境に…… ©2021『夜を走る』製作委員会
佐向大監督「夜を走る」から。鉄くず工場に勤める秋本(左、足立智充)と谷口(玉置玲央)は、ある日を境に…… ©2021『夜を走る』製作委員会