「森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民」金子遊監督
思えば子どものころ、テレビでしょっちゅう秘境ものの番組をやっていた気がする。秘境とは言っても、「水曜スペシャル」の川口浩探検隊シリーズのようにお膳立てしたものも多かったのだろうけど、未開の地に分け入っていくと聞くだけで、冒険心がくすぐられるというか、何だかわくわくさせられたものだ。今も「NHKスペシャル」なんかでアマゾンの奥地を取材した番組が流れると、ついつい見入ってしまう。
「森のムラブリ」は、「インドシナ最後の狩猟民」の副題に、裸の男の写真をあしらったチラシもあって、秘境ものへのわくわく感を大いにかき立てられるドキュメンタリーだ。ムラブリとは、タイとラオスの国境辺りの山岳地帯に住む少数民族の名称で、文字のないムラブリ語を話し、小動物を狩猟したり植物を採集したりして生活してきた。この映画では、フォークロア研究家で批評家でもある金子遊監督が、ムラブリ語を研究する言語学者の伊藤雄馬さんとともにムラブリ族が暮らす密林を訪れた記録を収めている。
そもそもムラブリ族という民族自体、存在を知らなかったし、その言葉を研究している日本人がいて、しかも方言まで使い分ける第一人者だということにまず驚く。何しろムラブリ族は現在400人ほどしか確認されておらず、文字を持たないから言語の伝承は非常に危うい。学生時代にちらっとだけ言語学をかじったことがある身としては、秘境ともども何ともそそられるモチーフだ。
2人はまず、タイ北部の山深くに分け入って、ムラブリ族の最大グループと接触する。どんな未開の地で、どれほど原始的な暮らしをしているのだろうと思ったら、これが意外にも集落を形成していて、極めて文明的な生活を送っている。狩猟民と言いながら農作業に従事しているし、言葉だってタイ語を解す。通訳を兼ねる伊藤さんが「ムラブリ語で話して」と注文をつけるほどで、未知の神秘に向き合うという緊張感は薄い。
中でもかつての狩猟生活を再現してもらう場面がおかしい。ふんどし一丁で竹やりを手に出かけるから、何か獰猛な獣に立ち向かうのかと思いきや、やおら地面を掘り始める。イモを採っているというのだが、これがまた下手くそで、ちっともうまく掘り出せない。今や完全に文明生活に染まってしまっているように見える。
そんな彼らが恐れているのが、国境を越えたラオス側に住むムラブリ族で、「やつらは人食いだ」と異口同音に指摘する。こうして金子監督と伊藤さんは、ラオスのムラブリに会いに別ルートから道なき道を進んでいく。果たして2人は人食い民族に遭遇することができるのか。
と、この先は映画を見て楽しんでもらうとして、一つだけ言うと、人が暮らしているところには必ず家族がいて、家族のありようは全世界共通だということだ。たとえ森の中で頻繁に移住を繰り返していようとも、そこには家族という最小単位の社会があり、お互いに支え合って生きている。しょっちゅう家を空けて遊びほうけている夫は妻から離婚を切り出され、母親に泣きつくものの「お前が悪い」と諭される。それってどこかその辺にいる日本のダメおやじと大差ないではないか。
そんなどこか俗っぽい物語が、この未開のジャングルの奥地で繰り広げられているというのが新鮮な感動で、人間社会の根源を垣間見せてもらった気がする。川口探検隊と比べると作品の深みは段違いだけど、知られざる民族の貴重な映像資料というだけでなく、娯楽の要素もたっぷりで、やっぱり秘境ものって面白い、との思いを強くした。(藤井克郎)
2022年3月19日(土)から、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムなど全国で順次公開。
©幻視社
金子遊監督作品「森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民」から ©幻視社
金子遊監督作品「森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民」から ©幻視社