「春原さんのうた」杉田協士監督
杉田協士監督作品に初めて触れたのは、2017年3月の第9回ちば映画祭でのことだ。「100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る」という40分の短編で、短歌を原作に映画化するとはなかなか面白い試みだなというのが正直な感想だった。何しろこのときは、大河原恵監督の「母がる」と「逆流竹取物語」というぶっ飛んだ2作品と同時上映だったので、そっちの方に心が奪われてあんまり強い印象は残らなかったんだよね。
その後、この「100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る」は、やはり短歌を原作にしたほかの3編と一緒になって「ひかりの歌」という長編映画として2019年に公開された。ちば映画祭で上映された短編が含まれているとは知らなかったから、あれ、どこかで前に見た気がするぞ、と妙な気分になったものだ。
で、新作「春原さんのうた」である。これまた短歌を原作とする作品だが、今度は短編集ではなく、上映時間の2時間丸々、1首の短歌を基に創作されていて、つまり31文字の文学から長編映画を作り上げたということになる。横幅の短いスタンダードサイズの画面なんだけど、これが見る者の想像力をさまざまに喚起するような実に豊かな作品になっていて、杉田監督による短歌映画の奥の深さに改めて感じ入った次第だ。
原作は、歌人の東直子が1996年に発表した第1歌集「春原さんのリコーダー」の1編「転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー」で、確かにこの短歌自体、いろいろと想像の翼を広げることができそうな神秘性に包まれている。映画も原作のテイストそのままに、特に明確なストーリーを語るわけではないのに、でも見つめているうちにぼんやりと物語性が浮かび上がってくる。
どうやら主人公は「さっちゃん」と呼ばれている若い女性で、つい最近、美術館の勤務を辞めて、こぢんまりとしたいい雰囲気のカフェでアルバイトを始めたらしい。住まいも川沿いのごくありふれたアパートに引っ越して、新しい生活を始めたが、そんなアパートにいろんな人が訪ねてくる。相関関係はよく分からないが、分からないなりにも何となくすっきりするから不思議だ。
例えば前の住人を訪ねてきた女性は、ギターを爪弾くかと思えば何も奏でずに「さっちゃんは青い服」と歌を口ずさむ。するとさっちゃんは静かに涙をこぼす。すべてがこんな調子で、これは夢の中なのか、幻想の世界なのか、あるいは現実に起こっていることなのか。何ら説明もなく、ただそこにある風景がそのまま映し出されるといった感じなのだ。
やがておかっぱ髪の女の子が突如として現れるショットが何度か繰り返され、さっちゃんとの関係性がやはり何となく伝わってくるのだが、この自然な成り行きがたまらない。一つ一つのショットも絶妙に長く、中には全く人物が映っていなかったりもする。アパートの部屋も、さっちゃんが勤めているカフェも、小竹向原の地下鉄駅の出入り口も、ただそこにあるというだけで、特別な意味があるのかどうかさえ分からない。でもこの2時間には確かな物語があって、その語られてもいない物語に大いに心が揺さぶられる。これもまた、映画という芸術表現が持つ魔法の一つなのだろう。
もう一点、驚いたのは、映画に映っている人々がみんなマスク姿だということだ。コロナ禍になってからの撮影で、実際に街の風景などは普通に歩いている人が映り込んでいるのかもしれないが、作中では「コロナ」とも「パンデミック」とも何の言及もない。ごく当たり前の風景としてそこに映っていて、それはさっちゃんやアパートの部屋、さらには春原さんのリコーダーと同じなのだ。味わい深い物語性とともに、この時代の空気が確実に映り込んでいる映画でもあるのかもしれないね。(藤井克郎)
2022年1月8日(土)からポレポレ東中野など全国で順次公開。
©Genuine Light Pictures
杉田協士監督作品「春原さんのうた」から。ただそこにある風景が豊かな物語を紡ぐ ©Genuine Light Pictures
杉田協士監督作品「春原さんのうた」から。ただそこにある風景が豊かな物語を紡ぐ ©Genuine Light Pictures