「名もなき歌」メリーナ・レオン監督
ついに東京オリンピックが始まってしまった。コロナ云々とは関係なく、もともとオリンピックには興味がなかったし、開幕したら東京を脱出したいとさえ思っていたが、緊急事態宣言でそれもかなわない。と言ってテレビをつけると、連日「頑張れ、ニッポン!」のオンパレードでうんざりする。天邪鬼なのかもしれないけれど、親戚でも友達でもない赤の他人を日本人だからという理由で応援する気にはなれないよ。
せっかく世界200を超す国と地域から選手が集まっているんだから、もうちょっとそれぞれのお国柄がうかがえるような番組でもやってくれればいいんだけど、競技のことばっかりで、ほとんど見受けられない。だったらテレビを消して、街に繰り出すしかないよね。映画館では万全のコロナ対策を施して、世界各地のお国柄を反映したすてきな作品を提供している。頑張れ、映画館!
「名もなき歌」は南米ペルーを舞台にした作品で、同国出身の新鋭、メリーナ・レオン監督の初長編映画になる。社会性を帯びた題材といい、力強いストーリーといい、モノクロでスタンダードサイズの画面といい、先住民族の血を引く女性監督の個性が前面に押し出されていて、多様性と調和を十二分に味わわせてもらった。
1988年、ペルーは経済の悪化と政情不安の下、人心は甚だしく荒廃していた。首都のリマ郊外の荒涼とした斜面で夫と暮らす先住民族の20歳のヘオルヒナ(パメラ・メンドーサ)は、貧しい生活の中でも新しく宿った命に希望を抱いていた。ある日、彼女はラジオから流れてきたある医療機関の情報を耳に留める。無償で治療が受けられるというその産院を訪ねたヘオルヒナは、無事に女の赤ちゃんを出産。だが一度も腕に抱くことなく引き離され、翌日には無理やり退院させられてしまう。
映画は、生まれたばかりのわが子の行方を必死に捜すヘオルヒナを中心に、どこか他人事のような態度の夫、彼女の訴えを基に社会の闇に斬り込もうとする新聞記者らが絡み、ふくよかなドラマを織り上げる。しかもレオン監督の矛先は乳児売買に限らない。先住民差別、貧富の差、テロリズム、搾取構造、LGBTQ(性的少数者)への偏見と、さまざまな社会問題が何層にも重なり合い、監督の意識の高さをうかがわせる。
さらに社会性とともにこの映画を彩るもう一つの大切な要素が、先住民族の文化への敬意だ。仮面をつけた祭りやケチュア語の子守歌など、アンデスの人々の伝統芸能がふんだんに登場するが、それが政治の貧困や暴力的なテロ行為によってことごとく踏みにじられる。先住民文化を大事にしない現代社会への憤りなのかもしれない。
画面の絵づくりにも監督の個性が色濃く反映されている。横幅の狭いスタンダードサイズのモノクロ画面で、四隅は輪郭がぼやけたように処理が施されているのだが、非常に窮屈で視野が狭く、それだけヘオルヒナの生き方が制限されているという象徴なのだろう。と同時に、この作品を多くの人々の記憶にとどめてほしいというレオン監督の思いも込められているような気がする。カンヌ国際映画祭の監督週間のほか、ブラジル、チリ、メキシコ、キューバ、アメリカ、カナダ、ギリシャ、ドイツ、スウェーデン、ウクライナ、トルコなどなど世界中のいろんな映画祭で受賞を重ねてきており、まさにオリンピック級の傑作と言っていいんじゃないかな。(藤井克郎)
2021年7月31日(土)からユーロスペースなど全国で順次公開。
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ペルー・スペイン・アメリカ合作「名もなき歌」から。生まれたばかりのわが子を奪われたヘオルヒナ(左、パメラ・メンドーサ)は、新聞記者のペドロ(トミー・パラッガ)に協力を求めるが…… ©Luxbox-Cancion Sin Nombre
ペルー・スペイン・アメリカ合作「名もなき歌」から。先住民族の若い妻、ヘオルヒナ(パメラ・メンドーサ)は、荒れ果てた斜面で貧しい暮らしを送っていた ©Luxbox-Cancion Sin Nombre