「ハッピー・オールド・イヤー」ナワポン・タムロンラタナリット監督
タイ映画というと、「マッハ!」シリーズのようなアクション映画か、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督に代表されるアートに振れた作品か、といったイメージが強い。だが当然のようにいろんな映画が作られていて、2018年に公開された「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(2017年、ナタウット・プーンピリヤ監督)などは、カンニングを題材にしたちょっとスリリングな青春ものだった。当時、来日したプーンピリヤ監督に取材したが、「すごく楽しくて、なおかつメッセージ性のある映画を作りたかった」と目を輝かせて話してくれたことが印象に残っている。
その「バッド・ジーニアス」を手がけた同じスタジオの製作で、主役の天才女子高校生を演じたチュティモン・ジョンジャルーンスックジンがまたも主演した作品が「ハッピー・オールド・イヤー」だ。メガホンを取ったのは、長編1作目の「36のシーン」(2012年)が釜山国際映画祭、2作目の「マリー・イズ・ハッピー」(2013年)がベネチア国際映画祭で上映されるなど、世界が注目するナワポン・タムロンラタナリット監督で、7作目にして初めて日本で正式に劇場公開される。
で、作品はというと、これが思いっきりおしゃれでかっこよく、でもどことなく懐かしくて切なさが募り、またまたタイ映画に対するイメージがいい意味で覆された。
留学先のスウェーデンで必要最小限の生活様式を学んだデザイナーのジーン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は、タイに帰国後、自宅のリフォームを思い立つ。母親と兄と3人で暮らす家は、父親が開いていた音楽教室兼住宅の小さなビルで、父親が家を出ていったままの手つかずの状態だった。1階には誰も弾く人のいない古いグランドピアノがでんと構えていて、ジーンはこのピアノを含めてあらゆるものを捨てようと母と兄に提案する。
母からは強い反対に遭うものの、お構いなしに片っ端から片づけていくジーン。だが部屋の中から箱に入ったカメラを見つけたことで、彼女の心は千々に乱れる。それはかつての恋人、エム(サニー・スワンメーターノン)のもので、ジーンは一方的に連絡を断っていた。
ジーンはこのカメラをエムに返そうとするのだが、面と向かっては返しにくい。こうして「ものを捨てる」というモチーフから、映画はどんどんとふくよかなテーマに広がっていく。ものを捨てるという行為は、思い出や他人への思いも捨てることであり、ついには自分の気持ちにも及んでくる。果たしてあなたは、あのときの自分の心をも捨て去ることができるのか。
そんな切ない命題が、淡い光と影、しゃれたインテリアに美術作品など、灼熱の国とは思えない涼やかな彩りで、アーティスティックにつづられる。ものが散乱した古めかしいジーンの家も、壁に貼られたポスターや調律されていないピアノの調べなど、ノスタルジックでどこかスタイリッシュさも漂う。
さらに目を引くのが独特のカメラワークだ。ジーンやエム、それにエムの現在の恋人であるミー(サリカー・サートシンスパー)ら若手の登場人物の顔を、カメラ目線のクローズアップでとらえる。こちらを見つめる彼女たちの表情の奥の奥までのぞこうとするかのようで、自分も彼らの仲間の一人のような錯覚を覚える。こうして見ているうちに、初めは身勝手に思えたジーンの心が、徐々に清らかになっていることに気づく。結局、大切なのはものや思い出ではなく、家族や愛しい人を思いやる気持ちなのだ。そんなごく身近な真理が浮かび上がってきて、とてもすがすがしい気分にさせられた。
タムロンラタナリット監督は現在36歳だが、このセンスにこの作劇術は目を見張るばかり。これからの活躍が楽しみなのと同時に、これまでの6作品もぜひ見てみたいと思った。(藤井克郎)
2020年12月11日(金)から、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷など全国で順次公開。
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タイ映画「ハッピー・オールド・イヤー」から。自宅の片づけを思い立ったジーン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は、片っ端からものを捨て始めるが…… © 2019 GDH 559 Co., Ltd.
タイ映画「ハッピー・オールド・イヤー」から。かつての恋人、エム(右、サニー・スワンメーターノン)のカメラを見つけたジーン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は…… © 2019 GDH 559 Co., Ltd.