「おろかもの」芳賀俊、鈴木祥監督

 若手映画作家の登竜門としてすっかり評価を確立した田辺・弁慶映画祭に、一度だけ参加したことがある。武蔵坊弁慶のふるさととされる和歌山県南部の田辺市で毎年11月、3日間にわたって開かれるもので、2016年の第10回のときに1泊2日で訪れたが、朝から地元の人たちが自主映画を見にわんさと詰めかけるなど、映画祭が着実に地域に根付いていることをうかがわせた。狭い路地に200店以上の飲食店が軒を連ねる県内有数の繁華街「味光路」では、深夜遅くまで若い映画人と映画ファンとの交流が繰り広げられ、映画による町おこしと映画界の人材育成の両面で成功を収めている奇跡的な例ではないかと思っている。

 第14回となる今年は、新型コロナウイルスの影響で紀南文化会館を会場とするスクリーン上映はかなわなかったものの、11月13日から3日間、オンライン上映で開催され、例年通り最高賞の弁慶グランプリなど各賞が選出された。現地に足を運ばなくても刺激的な新作自主映画に触れるせっかくのチャンスだったんだけど、実は1本も見ていない。やっぱり映画はどうしてもスクリーンで見たい派で、オンラインというのはどうも苦手なんだよね。それに来年になったら、「弁セレ」でグランプリ作品「愛のくだらない」(野本梢監督)をはじめとした受賞作を東京で見ることができるという安心感もある。

「弁セレ」こと「田辺・弁慶映画祭セレクション」は、前年の映画祭で何らかの賞に絡んだ作品をテアトル新宿で一挙にレイトショー上映してくれるありがたい企画で、今年は11月20日(金)から12月10日(木)まで開かれる。その先陣を切って初日に上映されるのが、2019年の第13回映画祭で弁慶グランプリのほか、観客賞、キネマイスター賞、俳優賞(笠松七海、村田唯)の5冠に輝いた「おろかもの」だ。

 高校生の洋子(笠松七海)は両親を早くに亡くし、兄の健治(イワゴウサトシ)と2人暮らし。健治は近く結婚する予定で、婚約者の果歩(猫目はち)はちょくちょく自宅に来ては、夕食を作ったりしていた。そんな毎日に居心地の悪さを感じていたある日、洋子は兄の浮気現場を目撃する。後日、浮気相手の後をつけた洋子は、カフェで1人パスタを食べているその女に、思い切って声をかける。

 こうして美沙と名乗る兄の浮気相手(村田唯)と洋子との奇妙な交流が始まるが、この意表をついたシチュエーションから物語は奇想天外な展開となる。一見すると派手でイケイケ風の美沙は、その実、どこかおっとりしていて、妹としては憎みも同情もしにくいキャラクターというのがまずもっていい。演じる村田も、初登場のパスタを食べるときのしぐさからして、妙に色っぽいのに無邪気さが漂っていて、美沙という女性の本質を的確に表現する。恐らく洋子同様、映画を見ている全員がこの美沙には悪い印象を覚えないだろう。人物造形が非常に巧みだ。

 一方、兄嫁となる果歩に対しては、洋子は当初、それほどいい印象を抱いていないように思えるものの、美沙との交流を通じて、果歩にも徐々に心を開くようになる。この微妙な心の変化の描き方がまた素晴らしく、食べ物という小道具を上手に扱っている。ようかんをめぐる果歩とのくだりに、それとは対照的な美沙との目玉焼き。共同で当たった芳賀俊監督が1988年生まれ、鈴木祥監督が87年生まれと、まだ30代前半の若さだが、女性への敬愛の念が強く伝わってきて、とてもすがすがしい気分になった。

 結婚式の場面のスローモーションなど、芳賀監督自身が手がけた撮影や編集もそつがなく、田辺・弁慶映画祭以外に、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の観客賞、横濱インディペンデント・フィルム・フェスティバルの最優秀賞と、数々の映画祭で評判を取ったのもうなずける。田辺・弁慶映画祭からはこれまで、沖田修一監督、瀬田なつき監督、今泉力哉監督、岨手由貴子監督、天野千尋監督、松本卓也監督、柴田啓佑監督、石橋夕帆監督といった俊英が巣立っているが、またまた将来が楽しみな人材が出てきたものだ。(藤井克郎)

「田辺・弁慶映画祭セレクション2020」の一環として、2020年11月20日(金)と12月4日(金)から10日(木)までテアトル新宿、12月18日(金)から21日(月)までシネ・リーブル梅田など全国順次公開。

©2019「おろかもの」制作チーム

芳賀俊・鈴木祥監督作「おろかもの」から。兄の浮気を目撃した高校生の洋子(笠松七海)は…… ©2019「おろかもの」制作チーム

芳賀俊・鈴木祥監督作「おろかもの」から。高校生の洋子(左、笠松七海)は、兄の浮気相手の美沙(村田唯)と奇妙な交流を始める ©2019「おろかもの」制作チーム