「ペイン・アンド・グローリー」ペドロ・アルモドバル監督
スペインの鬼才、ペドロ・アルモドバル監督に関しては、何とも悔やまれる思い出がある。産経新聞文化部で映画担当になったばかりのころ、「アルモドバル監督が来日するのでインタビューをしませんか」と配給会社から声をかけられた。「ハイヒール」(1991年)の日本公開時期で、さっそくマスコミ試写で作品を見たのだが、それまでハリウッド大作こそ映画だと思っていた身には、何だかよくわからないというのが正直な印象だった。忙しかったこともあってインタビューはお断りしたのだが、配給会社の宣伝部員に信じられないという反応を返されたのを今でもよく覚えている。
それから、過去作の「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(1987年)などをビデオで見、「キカ」(1993年)、「オール・アバウト・マイ・マザー」(1998年)、「ボルベール〈帰郷〉」(2006年)といった新作を追いかけているうちに、この監督、めちゃめちゃ個性的で面白いじゃん、ってことに気がついた。己の不明を恥じるばかりで、なんであのとき取材しなかったのか残念でならない。だってその後、一度もそういうチャンスがないんだもんね。
今度の新作「ペイン・アンド・グローリー」も、アルモドバルらしさが随所に顔をのぞかせながら、極上の娯楽作品に仕上がっている。主人公はアントニオ・バンデラス演じるサルバドール。どうやら著名な映画監督らしい彼は満身創痍の状態で、特に背中の痛みがひどく、今は脚本も撮影も手がけていない。32年前の作品「風味」がシネマテークで再上映されることになり、この作品で仲たがいした主演男優、アルベルト(アシエル・エチェアンディア)と32年ぶりに再会し、一緒にトークイベントに参加しないかと誘う。だがアルベルトは、32年前と変わらずヘロインに溺れていた。
という現代のストーリーと並行して、子どものころ、母親(ペネロペ・クルス)に連れられて貧しい村に引っ越し、地下の洞窟で生活したサルバドールの回想がつづられる。この過去と現在を行きつ戻りつするたびに、どちらの局面にも新しい発見が加えられ、サルバドールの複雑で滋味深い人間像が徐々に明らかになっていくという構図がたまらない。ちょい悪おやじかと思わせて、でもとても純真な面もあらわになり、豪放磊落に見えながら、寛容な心遣いを忘れない。映画が進行するにつれて、さらに先の興味がそそられるという展開は、老境に入った天才監督だからこその熟練の技と言えるだろう。
一方で、「ハイヒール」のころから特徴的だった原色を基本とした色づかいは相変わらずで、サルバドールの部屋の調度品、美術作品などは、一見してアルモドバル作品と断定できる徹底ぶりだ。長年のファンにとっては、まさに「待ってました」のお約束で、この安定感と不安定さの絶妙な配合が、作品を娯楽性だけでなく芸術性の極みに押し上げる。ラストの1分1秒まで豊かな時間を積み上げてくれたことに対し、映画ファンとしては感謝してもしきれない気持ちだ。
ところでその後、アルモドバル監督とは念願の接近遭遇を果たすことができた。2016年、カンヌ国際映画祭に最初で最後の取材に訪れたとき、アルモドバル監督も前作の「ジュリエッタ」を引っ提げてコンペティションに参加していた。記者会見で質疑に応じる監督の肉声は、今もICレコーダーに残っている。ただスペイン語なので、なんて話しているかは残念ながらまるでわからないんだけどね。(藤井克郎)
2020年6月19日(金)から、TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマなど全国で順次公開。
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スペイン映画「ペイン・アンド・グローリー」から 主演のアントニオ・バンデラス(左)は昨年のカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した ©El Deseo.
スペイン映画「ペイン・アンド・グローリー」から。幼き日、サルバドールは母(ペネロペ・クルス)に連れられて貧しい村に引っ越す ©El Deseo.