「許された子どもたち」(内藤瑛亮監督)

 新型コロナウイルスの影響で映画館も長く自粛が続いていたが、いよいよ明日6月1日から東京でも営業が再開される。この2か月、どれだけこの日を待ちわびていたことか。

 この「許された子どもたち」はもともと5月9日の公開予定だったが、そのままスライドして再開初日の封切りとなった。それだけ劇場も期待を込めた作品ということだろう。

 とある地方都市に両親とともに暮らす中学1年の絆星(きら=上村侑)は、不良グループのリーダー的存在だった。いつもいじめていた同級生の樹(いつき=阿部匠晟)に手製のボーガンを作らせて、たまり場の河原に持ってこさせるが、戯れに撃った矢で樹を死なせてしまう。警察の追及に、最初は犯行を認めた絆星だが、息子の無実を信じて疑わない母親(黒岩よし)の説得で、否認を貫くようになる。

 いじめ問題を扱った映画は多いが、ここまで加害者側に焦点を当てた作品も珍しい。しかも絆星はまるで呵責の念を抱くことなく、ふてぶてしいまま。母親は母親で息子を溺愛し、誰の言葉にも耳を貸さない。弁護士や裁判官も一方的で、マスコミやユーチューバーをはじめとした世間も無責任に個人攻撃に走るなど、とにかく出てくる人物、出てくる人物、ことごとく共感できないというのがすごい。

 誹謗中傷に耐え切れず、やがて母子は引っ越さざるをえなくなるが、偽名を使って新しい中学に通うものの、正義感をはき違えた優等生によって正体を暴かれる。このあたりの展開は、まるでコロナ禍で浮き彫りになった自粛警察のようでもあり、内藤瑛亮監督の深い洞察力が光る。映画の中では、大局的な見地に立っていじめ問題の根本を掘り下げようとする動きは全くないのだが、これこそまさに今の日本の子どもたちを取り巻く状況なのではないか。いじめ問題は決して他人事ではなく、1人1人が自分のこととして痛みを知るべきだとの強いメッセージをひしひしと感じる。

 内藤監督は以前、特別支援学校の教員を務めていたことがある。一度、学園ホラーコメディー特撮映画の2部作「ドロメ【男子篇】」「ドロメ【女子篇】」(いずれも2016年)のときにインタビュー取材をしたことがあるが、「今度は罪を犯す少年少女を、社会の視点も入れて描いてみたい」と、「許された子どもたち」につながる意欲を口にしていた。

「ドロメ」では、同じ場面を男子と女子の別々の視点からとらえるなど、かなり実験的な娯楽作になっていたが、今回も社会性が前面に出ているとはいえ、カメラワークや美術セットなどに思い切った仕掛けが際立つ。母親がアパートの外壁にもたれかかってまんじりともせずに一夜を明かすさまをタイムラプス(コマ落とし)で見せるなど、撮影技法も多彩だ。中学校のクラスでいじめ問題について話し合う場面は、実際に子どもたちに自分たちの意見を戦わせるというドキュメンタリー的な手法を用いており、この問題を一面的ではなく、多様な視点で見てほしいという思いが伝わってくる。

 コロナ禍による外出制限で、図らずも日本の社会が抱えているさまざまな闇の部分があらわになった。これからの生き方を考える上で、これほど自粛明け第1弾にふさわしい映画はないかもしれない。(藤井克郎)

 2020年6月1日(月)からユーロスペース、テアトル梅田など全国順次公開。

©2020「許された子どもたち」製作委員会

日本映画「許された子どもたち」から ©2020「許された子どもたち」製作委員会

日本映画「許された子どもたち」から ©2020「許された子どもたち」製作委員会