「アマンダと僕」(ミカエル・アース監督)

 昨年の東京国際映画祭で、最高賞の東京グランプリと最優秀脚本賞の2冠に輝いた。東京国際といえば、過去にはジョン・セイルズ、田壮壮、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥといった名監督が受賞者に名を連ねているものの、ここ最近はあまり印象に残らない作品が多い。そんな中で、これは久々の名盤発掘と言えるのではないか。

 主人公は、パリに住むちょっと頼りない青年、ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)。便利屋としてアパートの管理業務をこなしながら、高校教師をしているシングルマザーの姉の一人娘、7歳のアマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の送り迎えを手伝ったりしている。そんな若い叔父さんと姪っ子との穏やかで緩い交流が、フランス映画らしいぶっきらぼうな会話とざらざらした質感の映像で、ほんわかと描かれる作品かと思ったら…。と、ここから映画は意外な大転換を見せ、目がスクリーンに釘づけになった。

 簡単に言ってしまえば、パリでテロ事件が発生し、気楽な生活を送っていたダヴィッドは、いきなりアマンダの後見人になるかどうかの選択を迫られる。テロが横行する現代フランスならではの社会性を伴った展開だが、ミカエル・アース監督は、決してテロの脅威といった政治的なメッセージを主張することはしない。むしろ悲しみに打ちひしがれる暇もなく、切羽詰まった日常が待っているという事態は、誰にでも起こりうることだという視点から、ダヴィッドの他者との向き合い方に焦点を当てる。ダヴィッドは、アマンダだけでなく、心に傷を負った恋人、幼かった姉と自分を置いてロンドンに去っていった母親ら、対峙しなければならない濃密な人間関係にがんじがらめになっている。

 だが映画は、そんな息苦しい状況を、あくまでもカラっと、ヌーベルバーグを想起させる軽やかさで切り取っていく。この乾いたタッチが、より一層、現代フランスの抱える重みを表現しているようで、これが長編3作目となる44歳監督の見事なバランス感覚に目を見張った。

 それにしても7歳のアマンダを演じたミュルトリエの存在は驚嘆に値する。ちょっとふっくらしていて、決して美少女というわけではないが、泣き顔も笑い顔も実に表情豊かで、ぐいぐい引き込まれる。ラスト、テニスのウィンブルドン選手権を訪れたダヴィッドとアマンダは、いつしか劣勢の選手に思いっきり肩入れする。唐突にも思える場面だが、彼女の泣きと笑いの激情渦巻く瞬間を目の当たりにし、ここで映画を終えることの幸福感に包まれた。(藤井克郎)

 2019年6月22日から東京・シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAなどで順次公開。

©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

映画「アマンダと僕」から。ひとり残されたアマンダに対し、ダヴィッドは… ©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

映画「アマンダと僕」から。ひとり残されたアマンダは… ©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA