「サウナのあるところ」(ヨーナス・バリヘル、ミカ・ホタカイネン監督)

 裸の男たちがサウナに入って身の上話を打ち明ける。たったそれだけで81分の長編映画にしてしまうのだから、さすがはサウナの本場、フィンランドだけのことはある。

 とは言いながら、この「サウナのあるところ」はサウナの魅力を伝える作品ではない。確かに映画に登場するサウナは、木造の掘っ立て小屋だったり、トレーラーを改造していたり、挙句の果ては電話ボックスをサウナにしているものまであって、フィンランドの人々にとっていかにサウナが身近な存在かということがよくわかる。だが映画は、フィンランドのサウナ文化や歴史などに触れることなく、次から次へとむくつけき男どもがカメラの前に裸体をさらし、ただ訥々と忘れられぬ思い出を語るのだ。こんなドキュメンタリー映画、観たことない。

 特筆すべきは、身の上話のほとんどがつらく悲しいものだということだ。中には子熊が突然、家の中にやってきて、大きく成長した今も仲のいい友達だというほほえましいエピソードもあるが、大半は恐らく思い出したくもないだろう悲惨な事実に彩られている。

 例えば子どものころに父親からお前は自分の子じゃないと告げられ、その継父にいじめ抜かれた人。例えば長年連れ添った妻に先立たれ、今も心の中にぽっかりと穴が開いたままの人。例えば双子の娘の1人を、まだ幼かったときに突然、失った人。そんな重いエピソードの持ち主が、時には泣きじゃくりながら胸の内を絞り出す。「話さなければよかったかな」と言いながら、でも涙の後にはちょっとほっとしたような表情が垣間見える。

 よくみんな、こんな重大な心の傷を裸のまま語るもんだと感心するが、裸だからこそ、それも生活の一部であるサウナの中だからこそ、素直に口に出すことができたという側面もあるだろう。日本人でも、温泉に行ったら聞きもしないのにあれやこれやしゃべりまくる御仁がいるが、風呂という場所は、そして裸というシチュエーションは、身も心もさらけ出すものなのかもしれない。

 こうして洗いざらい吐き出した身の上話は、一緒にサウナに入っている仲間のように、映画を観ているこちらの心にもじわっと染み入ってくる。焼けた石に水をまいたときのジュっという音がまた心地よく、厳しいエピソードにほっこりアクセントを添えていた。(藤井克郎)

 2019年9月14日からアップリンク渋谷、新宿シネマカリテなど順次公開。

©2010 Oktober Oy.

フィンランド映画「サウナのあるところ」 ©2010 Oktober Oy.

フィンランド映画「サウナのあるところ」 ©2010 Oktober Oy.