「ある船頭の話」(オダギリジョー監督)

 北野武監督をはじめ、役者やタレントの中には映画作家としても見事な才能を発揮する人物がいるが、この人もそんな一人だとは知らなかった。テレビCMではひょうきんな一面も見せる俳優のオダギリジョーが、初の長編監督作として取り組んだ「ある船頭の話」は、映像と音楽と人物描写が絶妙なハーモニーを奏でる極めて刺激的な作品になっていた。

 物語は、いつの時代とも、場所がどことも説明することなく、静かに穏やかに幕を開ける。主人公は、緑濃い山あいの川で渡し船を漕いで生計を立てているトイチ(柄本明)。川のほとりにあるみすぼらしい小屋に一人で暮らし、村人たちの貴重な足として黙々と仕事をこなしてきた。ある日、舟にぶつかってきた何かを拾い上げると、それは一人の少女(川島鈴遥)だった。トイチは瀕死の少女を小屋に連れ帰って介抱してやるが、やがて客の間に上流で起きた惨殺事件の噂が流れる。

 というストーリー展開の興味に加え、横長ワイドのシネマスコープサイズに広がる映像世界のふくよかさに、とにかく目を奪われた。冒頭、大自然に包まれた川辺で1人、柄本明がぽつんとたたずむロングショットから入り、カメラがちょっとズームインすると柄本は心なしかほほ笑んでいるように見える。このファーストショットの美しさは驚異的だ。さすがは「恋する惑星」(1994年)や「花様年華」(2000年)などのウォン・カーウァイ監督作品で独特の映像美を追求してきた名カメラマン、クリストファー・ドイルが撮影監督を務めるだけのことはある。

 この素朴な風景に溶け込んで、また何とも豪華な役者陣が渡し船の客として川を行き来する。村上虹郎、伊原剛志、浅野忠信、村上淳、蒼井優、笹野高史、草笛光子、細野晴臣、永瀬正敏、橋爪功と名前を挙げただけでワクワクするが、彼らが柄本の船頭とちょっとした会話を交わすだけで物語に厚みが加わり、映像が豊かになる。一瞬一瞬が、とてつもなく贅沢な時間と言っていいだろう。

 冒頭と終盤にちらっとだけ流れる音楽の使い方もセンス抜群だ。アルメニア出身のミュージシャン、ティグラン・ハマシアンによるリズムの異なるピアノの重音が、決して映像の邪魔をせず、でもどこか不安な空気感を表現する。さらに川島鈴遥演じる少女が身にまとう奇抜な赤い着物など、黒澤明監督の「乱」(1985年)で知られるワダエミの衣装も、独創的でありながら作品の世界観をしっかりと体現しており、すべての要素がバランスよく形成されていることに驚く。

 と、芸術性ばかり強調してきたが、この映画、社会性も湛えており、渡し船の近くでは立派な橋が建設中なのだ。橋ができると便利になるねえ、と誰もが口をそろえ、船頭のトイチも否定はしない。だが身の丈に合った昔ながらの生活が、便利な世の中になるとどう変わってしまうのか。渡し船でゆったりと時を刻んで生きる方が幸せだったのではないか。トイチは黙して語らないが、渡し船の客の会話から、自然いっぱいの画面の端々から、オダギリ監督のそんな思いが見え隠れする。

 こうして衝撃のラストへと進んでいくが、ここでまたドイル撮影監督の映像魔術が炸裂する。このロングショットを目にするだけでも、この映画を観てよかったなという気にさせられて、改めてこれだけの才能を集結させたオダギリ監督の力量に感じ入った。(藤井克郎)

 2019年9月13日から東京・新宿武蔵野館など全国順次公開。

© 2019「ある船頭の話」製作委員会

映画「ある船頭の話」から。主役のトイチを演じる柄本明 © 2019「ある船頭の話」製作委員会

映画「ある船頭の話」から。日本の原風景ともいえる緑濃い山あいの谷が舞台になっている © 2019「ある船頭の話」製作委員会