「左様なら」(石橋夕帆監督)

 ただでさえフレッシュな監督のみずみずしい感性に触れるとそれだけでうれしいが、さらにドキッとするような映像の趣向が施されていると、もう興奮を通り越して至福の喜びと言っていい。28歳の石橋夕帆監督の初長編となる「左様なら」は、それくらいピタッと波長が合う作品だった。

 ある海辺の町を舞台に、高校1年生1クラスの夏休み明けの出来事を描いている。由紀(芋生悠)は目立ちもせず、いじめられもせず、ごく平凡な女子高生だ。中学からの同級生、綾(祷キララ)とも特に仲がいいというわけではなかったが、ある日、連れ立って出かけた浜辺で、綾からもうすぐこの町を出て引っ越すことを告げられる。その翌日、綾が突然、この世を去り、やがて自殺ではないかとの憶測がクラス内に流れる。

 ユニークなのは、この主役2人だけでなく、クラス全員の一人一人にそれぞれきちんとキャラクター付けがなされていることだ。例えば遠足の班分けの場面では、仲間外れにされる子、そういう子に優しく声をかける子、その行動を見て露骨に嫌な顔をする子、といったように、ほんの短い時間でクラスメイトのさまざまな表情が瞬時に映し出される。女子のボス的存在の取り巻き連中にしても、そのうちの1人は、本当は抜けたいんだけどいじめが嫌だから仕方なくついていくといった具合で、実に細かい。それでいて物語の焦点がぼやけることなく、しかも上映時間は86分とコンパクトにまとまっている。いや、ほれぼれするほど鮮やかな手腕だ。

 この奇跡をもたらした一つに、撮影の工夫が挙げられよう。冒頭の教室内も、浜辺での2人のシーンも、太陽光を背にきらきらしているのに逆光で顔が真っ暗になることなく、一人一人の表情がはっきりとわかる。さらに大勢が画面に映っているとき、誰か一人に焦点を当てるのではなく、全員にピントが合ったパンフォーカスで撮影しているのも大きい。昼休みにボールを蹴って遊んでいる一団のそばを仲間外れの子が通っている場面では、その子の戸惑いだけでなく、彼女を見やるボスグループの冷たい視線、ボール蹴りの子らの能天気ぶり、とすべての表情が同じ画面にくっきりはっきりと現出する。さまざまな人物のそれぞれの思いが1枚の絵に同時に込められているというのは、なかなかの構図だ。

 彼女たちと交わる大人の描き方も素晴らしい。由紀は綾の死後、ある出来事をきっかけにクラスで浮いた存在になる。そんな由紀が出会うのが、近くのカフェで働く忍野という男で、東京でミュージシャンをしていたが、故郷に帰ってきて地味に働いている。この忍野が、したり顔で由紀を導くのではなく、彼女と同じようなレベルで悩みを共有し、まるで見ているわれわれにも救いの手を差し伸べるよう。こういう大人の登場って、昨今の学園ものではあまり見かけたことはなかったなと、ちょっと新鮮な感動を覚えた。

 実は石橋監督には、主演の芋生、祷とともにインタビュー取材をしたのだが、監督は10代のころ、ほとんど映画を観ていなかったというから驚く。大学3年のときにバンド活動を辞めることになり、たまたま自作の曲に合ったイメージで映画を撮ることを思いついたのが始まりで、次第に映画にのめりこんでいった。その後、何本かの短編を経て、今回はツイッターなどで人気のイラストレーター、ごめんの漫画を原作に初の長編に挑むことになったが、1作目がこれとは何とも末恐ろしい新人の登場だ。

 ちなみに石橋監督と芋生、祷の3人のインタビュー記事は、映画情報サイト「ミニシアターに行こう。」(http://mini-theater.com/2019/09/sayounara_inte)に掲載されている。21歳の芋生、19歳の祷の両女優も鋭い感性の持ち主で、日本映画の行く末がますます楽しみになってきた。(藤井克郎)

 2019年9月6日から東京・アップリンク吉祥寺など順次公開。

©2018映画「左様なら」製作委員会

映画「左様なら」から。由紀(右、芋生悠)は綾(祷キララ)から引っ越すことを告げられるが… ©2018映画「左様なら」製作委員会

映画「左様なら」から。由紀(右、芋生悠)は綾(祷キララ)から引っ越すことを告げられるが… ©2018映画「左様なら」製作委員会