「火口のふたり」(荒井晴彦監督)

 最初は、いささか説明っぽいせりふが気になった。セックスの最中に、あのときのセックスはこうだった、なんて言い合うか、などと思いながら観ていたが、そのうちに、あれ、この映画ってもしかして柄本佑と瀧内公美の2人しか出ていないのかも、と気がついた。結局、顔を出して演技をしている出演者は最後まで2人だけのままで、それでいてものすごく濃密で深い人間ドラマが構築されている。うーん、これはまたまた革新的な映像作品に出くわしてしまったぞ。

 原作は白石一文の同名小説で、「Wの悲劇」(1984年、澤井信一郎監督)、「ヴァイブレータ」(2003年、廣木隆一監督)などの脚本で知られるベテラン脚本家の荒井晴彦が、自らの脚色で監督を務めた。荒井の監督作は「身も心も」(1997年)、「この国の空」(2015年)に続いて3作目だが、これだけの大御所になってもなおも貪欲に新しい表現に挑戦する姿勢には感服する。

 柄本演じる賢治は、久しぶりに帰省したふるさとの秋田で、瀧内演じる昔の恋人、直子と再会する。直子は10日後に結婚式を控えていたが、新居の片づけを賢治に手伝ってもらううち、2人が写っているアルバムを見つけ、青春の日々がよみがえる。

 やがて、2人の間でかつて何が起こり、なぜ別れたのかが徐々に明らかになっていくのだが、映画だとよく取り入れがちな回想シーンを用いることなく、ただ現在の2人のやり取りとアルバムのモノクロ写真だけで背景を浮かび上がらせる。賢治の父親だけは電話の相手として、実際に柄本の父である柄本明の声が流れるものの、直子の結婚相手でさえ姿を現さない。直子が賢治の家に世話になっていた子どものころのエピソードなども、回想シーンを挟み込めば映像的に豊かになるところを、あえて2人だけの演技で想起させ、なぜ2人は今、これほどまでに激しく燃え上がるかを描き出す。すべて観客の想像力にゆだねるという何とも大胆な手法で、さすがは数多くの名脚本を手がけてきた荒井監督だけのことはある。

 それにしても、この1時間55分の長編映画をたった2人で演じ切った柄本と瀧内のプロ根性には驚くばかりだ。単に二人芝居というだけでも大変だろうに、セックスシーンがふんだんにあり、裸で抱き合ったまま長いせりふを吐かなくてはならない。しかもノーカット長回しのショットも多く、2人ともよくぞ引き受けたものだと感心する。その絡みも日本映画にありがちな中途半端なものは一切なく、完全燃焼でやり切っている。監督、スタッフを含めて、お見事としか言いようのない1本と言えるだろう。(藤井克郎)

 2019年8月23日から、東京・新宿武蔵野館など全国で順次公開。

©2019「火口のふたり」製作委員会

柄本佑(左)と瀧内公美の二人芝居で魅せる「火口のふたり」 ©2019「火口のふたり」製作委員会

柄本佑(左)と瀧内公美の二人芝居で魅せる「火口のふたり」 ©2019「火口のふたり」製作委員会