「時々、私は考える」レイチェル・ランバート監督

 アメリカ映画と言うと、街中でド派手なカーチェイスを繰り広げたり、拳銃やショットガンをぶっ放したり、といったハリウッド作品をついイメージしてしまうが、それがアメリカ社会のリアルな姿かというと、そんなわけはない。ごくごく平凡に仕事をこなし、恋や友情や家族など身近なことで悩みを抱えている人だっていっぱいいるに違いない。

「時々、私は考える」は、地味な主人公が送る日々の生活と、本当にときどき考える空想の世界を、やっぱり地味な絵面で映像化した作品で、こういう映画もあるんだ、というよりも、こういう映画も日本で公開されるんだ、ということに新鮮な、でも何ともうれしい驚きを覚えた。

 舞台はオレゴン州ポートランドに程近い河口の町、アストリア。映画の冒頭は、坂の多いちょっと寂れたこの街に車がぽつりぽつりと通るといった何気ない風景が数カット映し出されるんだけど、もうこの一連のショットだけで心をわしづかみにされる。どこか小津安二郎作品の導入を彷彿とさせるような懐かしい風情が漂っていて、これからの展開へのわくわくがぐぐっと膨らんでいく。

 フラン(デイジー・リドリー)は小さな会社に勤めるおとなしい女性で、どうやら人付き合いがあまり得意ではないらしい。ベテランのキャロルが定年で退職するときも、寄せ書きに「定年退職、おめでとう」としか書かないような素っ気なさだ。

 この会社自体、何だか仲良しクラブみたいな雰囲気があって、何とも言えないおかしみがある。キャロルの代わりに入ってきたのはそんなに若くはないロバート(デイヴ・メルヘジ)で、彼を迎えた最初のミーティングで一人一人が自己紹介するとき、じゃあ好きな食べ物を一言添えよう、となるなんて、いかにも象徴的だ。で、フランの番になって挙げたのが、やっぱり素っ気なく「カッテージチーズ」の一語だけ。うーん、このじんわりと漂うおかしみは癖になる。

 ほかにも母親からの電話には出ない、夕飯は突っ立ったまま食べる、など言葉の端々、画面の隅々から、フランは人とうまく接することができないということが伝わってくる。そんなリアルな日常の合間に、ちらっちらっと不思議なカットが差し挟まれる。森の中で寝ころんでいたり、肌を小さな虫がはいずり回っていたり、殺風景なフロアに大蛇がうごめいていたり。恐らく孤独の影におびえるフランの妄想なのかなと思えるが、これがまた何の説明もなくただぶっきらぼうに現れるから、作品の持つ大らかなおかしみを損なうことがない。

 こんなフランに何かと話しかけてくる人物がいる。新入りのロバートだ。2回も離婚歴があり、「今まで働いたことがない」などとそっと耳打ちするロバートは決して白馬の王子さまといった印象ではないが、何度かデートを重ねるうちに、フランにとっても気の置けない存在になっていく。ところがある日……、という一瞬の描写がとにかく超ド級の仕掛けで、ああ、だからこれまでこんなにも静かで大らかなおかしみを重ねてきたんだなと気づかされた。どんな描写かというのは絶対に言えないけれど、度肝を抜かれること間違いなしだ。

 レイチェル・ランバート監督はケンタッキー州ルイビルの出身で、日本で作品が公開されるのは長編3作目となる今回が初めてらしい。確かに地味と言っちゃ地味なんだけど、おかしみの中に漂う映画的な豊かさは他に類を見ない深みをたたえている。過去作も機会があったらぜひ見てみたいものだ。

 ちなみに英語の原題は「Sometimes I Think About Dying」で、タイトルからして「死」を前面に打ち出している。これを「時々、私は考える」という邦題にしたセンスは、最近ではまれに見るヒットじゃないかな。(藤井克郎)

 2024年7月26日(金)から東京・新宿シネマカリテなど全国で順次公開。

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レイチェル・ランバート監督のアメリカ映画「時々、私は考える」から。小さな会社で働くフラン(デイジー・リドリー)は人付き合いが苦手だったが…… ©2023 HTBH, LLC ALL RIGHTS RESERVED.

レイチェル・ランバート監督のアメリカ映画「時々、私は考える」から。ときどきフラン(デイジー・リドリー)の妄想カットが差し挟まれる ©2023 HTBH, LLC ALL RIGHTS RESERVED.